語る
高校以来の友達が、二日我が家に泊まって、帰った。今、寂しい思いにかられている。
奴はちょうどつらい時期で、仕事で悩んで、結局心を病んだ。今は休職中で、職場へは戻らぬつもりらしい。それが良いと思う。
ままならぬ自分という存在を抱えて、人の中であくせくしている。なかなか他人には理解されない性質を持って、しかしどうにも世の中に生きていかなければならない。全く困ったことだ。
時代がどんどん閉塞していく。そのせいだと言うと人に怒られるだろう。だけれど、自分ではどうしようもない出来事まで、ひとり抱え込むから、みんな辛くなる。自分のせいだと考えても、事態が良くなりはしないだろう。自縄自縛して、己を傷つけるだけだ。
天災は降る。戦は間近にあり、疫病が人々をなぎ倒す。いずれ人が飢え死ぬようになる。こういう情勢でも、断じて生きなければならない。
奴は、とにかく生きると言う。自分を馬鹿にした者たちを見返すためには、究極それらよりも長く生きるほかないと。いろいろごちゃごちゃ言ってた人間も、もう全員死んだんだぜ。奴はこれが言いたい。
一緒に酒を飲んだ。奴が酔いたいと言うので、付き合った。状態は余程悪いらしい。仕事が全く体質に合わなかった。それよりも、仕事自体が身体にぴったりしないのだ。人を駒と扱い、使い捨てられる。今日日の仕事はそういうことだ。
だけれど、死にたいとは一言も奴は言わなかった。新たな局面を迎えて、どうにもならないことはそのままに、何とか出来ることをやろうとしている。
随分いろいろ溜め込んでいたようで、問わず語りで自分のあらゆることを話していた。それは自分を再生させるため行動履歴に他ならなかった。
どうして人は、人を尊重して、人に接することができないのか。なぜ、人に条件をつけて、その良し悪しを測らねばならないのか。皆、条件を欲する。肩書きであろうと金銭であろうと、これらは皆人間を拘束する条件に過ぎない。人が人のまま、何のわずらいも無く、その生を全うすることがどうして出来ないか。
さむしい。とにかくさむしい。人間を舐めて人間が生きて、それは即ち自分を舐めていることである。誰か自分を受け入れてくれる人がいないか。十分にその役目をしてくれる友達は、列車に揺られて西へ帰った。