あえて確認をするまでもなく作ることが好きで、手を動かし頭を使うことで
何かが出来上がり生まれるということに、興味がある。
"小学校で運針を・・・"と言ったら、人に笑われてしまった位に、
それはもちろん遠い昔のことなのだけれど、"運針をした"という記憶は、
確かにある。
肥後の守をいつでもポケットに入れて、野山を遊び場に駆けずり回り、
小学校の帰り道は山の中を通ることもしばしばで、けれど
それは決して遠回りなどではなく、興味のつきない遊び場を通ると
それは極普通の当たり前のことだった。
里山を居場所に、生きる人生である。
里山を遊び場にしていた子供時代そのままに、思えば今も尚、
自然を相手に日常を活きている。
ポケットに肥後の守は無いけれど、和鑿(わのみ)等々が、
いつでも傍にあるということでは、さしたる違いは無いような。
手を動かし作る、ということへの興味は全く持ってつきない。