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【小説】ヒノチの目覚め#5

 


エリケはベッドの中で目を覚ました。
 部屋の中に時計は無いのでカロンに時間を尋ねる。
 どうやらまだ朝食まで時間があるようだ。
 昨日、午後に昼寝をしてしまった事で早朝覚醒してしまったらしい。
 この部屋には窓も窓の代替装置もない。眠る時以外でこの部屋に閉じこもると息がつまりそうなのでエリケはリビングに行く事にする。
 部屋を出てリビングのソファに向かった。
 ソファにどっかりと座り込み脚を組む。

「何かアルコール以外の飲み物を頂戴」
「カフェオレなどイカガでしょう」

 エリケの問いかけにすぐにコーヒーメーカーが答える。昨日飲んだ微妙な味のカフェオレを思い出してエリケは顔をしかめた。

「それはいらない。他の物を」
「ではフルーツジュースなどいかがでしょう」
「それを頂戴」

 別の機器が応答したので了承する。
 すぐにエリケが座っているソファのサイドテーブルにフルーツジュースの入ったグラスが置かれた。
 エリケはそれをちびちびと飲みながらカロンの到着を待っている。
 カロンはようやくリビングの入口まで到達した。
 カロンの躯体がガタッと音を立ててわずかに揺れる。

 エリケは頭の中に引っかかりを覚えた。
 カロンはいつもリビングに入った所でガタリと揺れるのだ。
 そういえば他の場所で音を立てる事はなかった気がする。
 床に何か凹凸があるのだろうか。
 エリケは立ち上がり、カロンが音を立てた辺りの床を凝視してみる。
 床は廊下と一続きの木質調の床材だ。
 特に何もないように見えたが、よくよく見てみるとほんの少し出っ張りがある事に気が付いた。
 20センチメートル四方の四角い箇所が1ミリあるかないかの高さで浮き上がっている。。
 エリケはかがんでその部分に触れてみる。見た目は他の床材と同じ木質調だが触感は他とはかなり違った。
 エリケは手の平全体でそこをなでるように触ってみた。すると軽い電子音と共に凹凸の横の床が大きくスライドした。
 エリケは驚いて後ずさり尻もちをついた。
 床に落し戸が現れたのだ。
 とすると四角い凹凸は床材に偽装された生体認証パネルで落し戸の開閉装置という事だ。
 落し戸の中を覗いてみると急勾配の階段で地階に降りられるようになっている。
 地階は床も壁も白い滑らかな質感の材質だ。
 エリケはナギザに見知らぬ場所に勝手に入らないように指示されている事を思い出すが、どうしてもここを確認したいという欲求が頭をもたげた。
 まるで誰かに呼ばれているような感覚がする。
 行かなければ行かなければという逸る気持ちに背中を押されエリケは階段を下りて行った。

 階段を降りるとすぐに扉があった。そこも生体認証パネルが付いている。
 エリケがパネルに手をかざすと問題なくドアは開いた。
 ナギザはエリケに勝手に見知らぬ場所に入らないよう忠告していたが、逆になぜ入って欲しくない場所のエリケの生体認証を許可しているのだろう?
 入って欲しくないならば初めから開かないようにしておけばいいだろうに。
 そんな疑問を持ちつつエリケは扉の中に入っていく。
 照明が自動的に点灯した。
 中は広い空間のようだが所狭しと様々な装置が設置してある。
 壁や床は配管や配線で埋めつくされていて、歩ける場所は狭く通路状になっている。
 エリケは慎重に奥へと進んでいく。
 通路は右に折れ、その先で今度は左に折れている。

 左に折れた所でエリケは視界に入ったものに驚愕した。

 高さ3メートルほどの円柱状の透明な容器の中に少女が浮いていた。
 少女の体は浮いた状態で微動だにしていない。
 容器の中は恐らく液体で満たされていて、それが少女ごと凍り付いているようだ。
 エリケの心臓は早鐘のように拍動している。
 この少女の顔を知っている。
 フォトフレームに映っていたエリケとナギザの娘の大きい方の子だ。
 強い驚愕と緊張でエリケの視界がビカビカと明滅を繰り返す。

「見知らぬ場所に勝手に入らないように言ったじゃないか」

 背後から声を掛けられてエリケの体がビクリと飛び跳ねる。
 振り返れば当然ナギザが立っていた。

「この子は…この子は…」

 口をパクパクさせて何とか言葉を紡ごうと苦心するエリケ。

「この子は僕とエリケの娘さ。死んでしまった後、ここで冷凍保存したんだ。この星では無理だが、もし救助が来れば蘇生できる可能性が高いからね」
「…蘇生…」
「そうさ。きっと娘は蘇生できるよ。死んでからすぐに冷凍保存したからね。未知の病で死んでしまったけど、それもきちんとした医療設備でならどうとでもなるだろう」

 エリケは何も言わず、自身の胸の前で手をぎゅっと握りしめうつむいた。

「いずれにしても君には関係のない事だ。さあ行こう」

 ナギザが退室を促す。
 エリケはおぼつかない足取りでそれに従った。


 エリケはその後、食事もとらずに部屋に閉じこもってしまった。
 すっかり夜の時間帯になりナギザはベッドに横になって状況の整理をする。
 大人しくあの場を去ったことからエリケの記憶が蘇った可能性は低い。
 万が一、記憶が蘇った場合はもう一度「抗トラウマ用忘却剤」を注入すればいい。
 前回の使用時には用量が多かったのかエリケは記憶のほとんどを失って赤ん坊のようになってしまった。
 ここにある設備ではあの状態のエリケの健康状態を維持するのは無理がある。
 次に薬剤を使うときは用量を調整し始めから自立状態を維持できるようにしなければならない。
 娘の死後、エリケの気落ちは著しく自死の可能性が高かった。
 手段を問わずそれを阻止する義務がある。
 薬剤の用量の候補をいくつか記憶に保存して、ナギザは睡眠に移行する。
 まぶたを下ろし緊急事態以外のあらゆる刺激情報から神経系をシャットダウンする。
 一部の身体状態維持制御へのリソースは別機構となっているので、ナギザの思考を司る演算処理は0になる。
 第三者が見ればナギザは現在進行形で「ベッドの上で眠っている」状態になった。

 ナギザが睡眠状態に移行して数時間後、身体状態維持制御機構が緊急アラートを発令し、ナギザは瞬間的に睡眠状態を解除する。
 身体状態維持機構がナギザに伝えてくる情報はすなわち「致死的な苦痛」だった。
 目覚めると視界に推定金属製、長さ約1メートルほどの棒が自身の胸部に突き刺さり、その反対側を握りしめるエリケの姿がそこにあった。
 ナギザはエリケが自身を殺害たらしめようとしている事を理解し、最適解の行動をとろうとする。エリケを蹴り飛ばし、胸部の棒を引き抜こうとしたのだ。
 が、エラーが帰ってくるばかりで脚が動かない。

「このポンコツが」

 エリケが怒りと嘲笑を含んだ声音で話しかけてくる。

「動けないだう?お前の下半身の制御機能はここにある。それを今破壊した」

 エリケは金属棒をグリグリとナギザの胸の中でねじり上げる。

「記憶が戻ってしまったのか。でもどうして僕を殺そうとするんだ?君の記憶を奪ったのは悪かったと思っているが、君が死んでしまうと思っての苦肉の策だったんだ。僕たちは夫婦じゃないか。どうか許してほしい」

 ナギザの問いかけにエリケの顔からは嘲笑が消え、怒りの形相だけが露出する。

「夫婦だと!気色が悪い!お前は私のナギザじゃ無い!これを見るがいい!!」

 エリケがナギザの胸に刺した棒を勢いよく引き抜く。ナギザの体が一瞬浮き上がりまたベッドに沈む。
 ナギザは自分の胸にぽっかりと空いた穴を見た。
 まるで地獄へ通じる穴のようなそこからは赤い血の一滴も流れ出ておらず、肉や内臓の代わりに金属の部品が見え隠れしていた。

 ナギザは自分が人間ではない事を理解せざるをえなかった。


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 この物語はフィクションです。
 実在する名称、テクノロジー等とは一切関係がありません。



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