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面倒くさがりイズマイライフ

私は自分を面倒くさがりな人間だと思っていた…そう、あの日までは…。

どうも藤野ニコです。漫画家です。
全然noteのエッセイ更新ができていませんでした。いやはや…。
今回は、ふとした事をきっかけに「あれ?自分、思ってたのと違うぞ」という事に気が付いた時の事をなんだりかんだり書いていきます。

私という人間

私は両親と同居しているのですが、一時期我が家の料理当番をしていた事がありました。しかし天性の面倒くさがり&大雑把性で手の込んだ料理など作りません。だって面倒だからね!
朝食は目玉焼きかスクランブルエッグ、それにベーコンやウィンナー、あとはお野菜を適当にぶち込んだ味噌汁でお茶を濁す程度でした。味噌汁の出汁?もちろん出汁の素!文明の利器!
それに普段からも何をするにしても二言目には「はー、めんどくさ」。ひとつ行動を起こす前に必ず頭に「面倒くさい」という言葉が浮かび上がってくる今日この頃。
そういう訳で私は自分を「面倒くさがりな人間」と思っていました。「あなたはどんな人物ですか?」と聞かれれば、そう答えざるを得ない程に。

料理のひと手間

で、なんやかんやあって、家の料理当番が私から母へ変わって、しばらくの頃、こんな出来事があったのです。
母が大根やニンジンや玉ねぎで煮物を作ろうとしていたので「それ煮る前にごま油で炒めておくと美味しくなるよ」と私はアドバイスしました。それを聞いた母が「いや面倒(^-^)」と答え、取りつく島もないと感じた私は、自分でも驚くような強い調子で、こう返したのです。

「そのひと手間が美味しくなるんじゃないかぁ!!」と。

母は驚きました。が、私自身はもっと驚きました。驚いた結果すぐさま口から次のような言葉がまろび出たのです。

「一生言わないと思ってた言葉が口から飛び出た!!」と。

私の人間性をよく知る母もそれについて激しく同意する始末。
後日、親しい友人にこの出来事を話すと「確かにそんな言葉がでるなんて想像もできない!一体どうしちまったんだ!?」と言われたので、私は自他共に認める「面倒くさがり」として知られていたのです。
そんな私は何故「そのひと手間が…」などという言葉を吐き出してしまったのでしょうか?
私はこの出来事がずっと心に引っかかり何度となく思い出しては『漫画にするにはどんな構成にするのが良いかしら?』と漫画家の鏡のような事を考えては『いいネタになりそうだ』とニヤニヤしていました。そのうちエッセイ漫画にでもするかもしれません。その時はよろしくお願いします<(_ _)>

レギュラーなコーヒーを淹れる

なにはともあれ、それから2年くらい経ったでしょうか。
令和2年4月9日(このエッセイを書いている当日)、私は朝の身支度などを終えてコーヒーを淹れていました。
インスタントのほうではなくレギュラーなほうです。ドリップするやつです。
ところで私は無類のコーヒー好きなのですが、残念ながらカフェインに弱い体質のため、コーヒーはミルクたっぷりカフェオレでマイルドにしないと顔に謎のブツブツが出来てしまいます。
そんな顔ブツブツのリスクを背負いつつ最近毎朝コーヒーを淹れる日々を送っていました。
紙のフィルターをセットする。粉を入れる。お湯を少しかけて蒸らす。その隙に電子レンジでミルクを温める。蒸らしたコーヒーの粉に再びお湯を中心から徐々に外側へ、円を描くようにかけてドリップしていき、これを2~3回繰り返す。
インスタントなら、粉入れてお湯入れてミルクいれて電子レンジでチン!で済む作業なのに、私は毎日わざわざレギュラーなコーヒーを淹れていたのです。
何の疑問もなく。
面倒くさがりのはずのこの私が。
毎日毎日、手間を惜しまず。
ただただ美味しいコーヒーが飲みたいが為に。

私は今日(このエッセイを書いてる日)コーヒーを淹れ終わった時に急にこう思いました。
「こんな面倒な事、よく毎日やってるよな」と。
その時に前記した「そのひと手間が美味しくなるんじゃないかぁ!!」という私もビックリの言葉を思い出したのです。

私の一連の様子をご覧になった読者の方の中には「まったく、藤野さんは食いしん坊さんなんだなぁ。美味しいものの為なら手間を惜しまないんだね」と思った方もいるかもしれませんが、私は食いしん坊さんでは無いのです。どちらかというと食べ物にあんまり興味がない方なのです。「美味しいものが食べたい!」よりも「手間がかからず、それなりの物でいいや」を優先するタイプです。
それなのに何故。
面倒くさがりのハズの私が何故、美味しいひと手間を惜しまなかったり、毎日コーヒーを入れたりするのでしょう。

もしかして…

あれ?もしかして私…「面倒くさがり」じゃないんじゃね?
勝手に自分で自分にレッテル貼ってるだけじゃね?
自分は面倒くさがりなヤツだってそう思い込んで、逆にその思い込みに引っ張られて「面倒くさがりな人間の行動」をとっていたんじゃね?

…自分にレッテルを貼ってその通りの行動をとる?

なにそれ、こっわ!!
つまり「自分はバカ」だと思ってると「バカな人間っぽい行動」をとるって事?「自分はダメな人間」だと思っていると「ダメな人間っぽい行動」をとるって事?
無意識にそんな刷り込みがなされるているの?
私が二言目には言っていた「はー面倒くさ」という言葉が私自身を縛って、まるで私が「面倒くさがりな人間」であるかのように、いつの間にか自分自身に思い込ませていた…そんな可能性。

無くもない

100%とは言わないが「自分で自分にレッテルを貼って、その通りの人間になる」可能性もなくもない気がしてきた。
ならば私は「私は面倒くさがりでは無い。やれば出来る子!」と思い込めばいいのか。ポジティブなレッテルを貼れば「元気いっぱいな、やる気のある子」になるのか、ならないのか。

だが、待てよ。
自他共に認める「面倒くさがり」のどこがダメなのだろう。
面倒くさくても結局のところ、やらなきゃならない事はやってるのだ。
毎朝のコーヒーしかり。料理のひと手間しかり。noteのエッセイもこうして書いてるじゃないか。
自他共に認められた「面倒くさがり」ならば、誰かに「お前は自堕落で面倒くさがりなやつだ!」と言われても傷つかない。「はは。そっすね」で済む。逆に「それがなにか?」と言い返して嫌いなアイツをタジタジさせてやる事もできるかもしれない。
いや、別に私にはそんな「嫌いなアイツ」は実際には特にいないのだけど。しかしたまに心の中に、そういうヤな事を言ってくる、わけわからん仮想敵が現れる事がある。実際存在する人に言われた訳でもないのに「自分は面倒くさがりでダメなやつなんだって他の人にいわれるに違いない!」って思う事がある。これは良くない。
何が良くないって、健康に良くない。
「面倒くさがり」=「ダメ」ではない。元来人間は面倒くさがりなのだ。だから頑張って楽をしようと文明が進んだのだ。人類が面倒くさがりじゃなかったらインターネットもスマホも存在してない。
「楽をするために全力で頑張る!」それが人類共通の合言葉なのではないだろうか。

私は今日一日をハッピーに過ごす為に、ほっと一息コーヒーブレイク用のコーヒーを手間を惜しまず淹れた。別にそれなりの料理であれば良いが、それなりの物でもひと手間加えるだけで少しだけ美味しくなるならそれに越した事はないので、ひと手間加えた。

矛盾だらけで滅茶苦茶な感じがするが、そもそも人間とはそんなもんなのだろう。
毎日バリバリ元気いっぱいに暮らしてる人もいるかもしれないが、自分自身がそうならなければならないというものでもない。

ひとまずは、そういう事にしておこう。



※「私は面倒くさがりでダメな人間なんです!」と自分を責めている人へ。
もしあなたが本当に毎日、やるべき事もできず、ただただ座り込むばかりの日々を過ごしている場合、それは「面倒くさがり」ではなく「体調を崩している」可能性があります。体調不良によって気力や体力が著しく減退している可能性です。
心の中に現れる謎の嫌な事を言ってくるヤツに耳を貸さず、きちんと自分自身の心と体の調子に耳を傾けてみましょう。

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