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【小説】ヒノチの目覚め#1

 ゴクリ、と水を嚥下した時、私の思考は急激にクリアになった。
 冷えた水が喉を通っていく感触。
 私に水を飲ませた給水器を持つロボットのアームが視界から遠ざかっていく。
 一つの疑問が頭に浮かんだ。

(一体ここはどこだろう?)
(私は誰で、ここで何をしているのだろう?)

 視線を巡らせて辺りを見回してみる。
 目の筋肉が痙攣を起こして難儀したが何度か瞬きをするうちにマシになった。
 私は狭い部屋のベッドの上で仰向けに寝ている状態だった。
 部屋の中には私が寝ているベッドの他にいくつかの機材、それと私に水を飲ませた不格好なロボットが一台。ロボットの上部にはモニターが付いていて、そこに表示された友好的な表情を浮かべたアニメーションがこちらを向いている。
「お水は如何でしたか?」
 ロボットが流暢な言葉で私に質問してきた。耳なじみの良い音声だ。
 私がロボットに話しかけようとした時、部屋に一つだけある扉が横にスライドして開いた。
 男性が部屋の中に入ってくる。
 男性と目が合った。どういう訳か彼は一瞬たじろいだ様子を見せた。

「あなた誰?ここは…?」

 ここはどこ?と男性に質問をしたかったが、喉にひどい違和感があり声はしわがれていた。
 私の質問に彼は少し言いよどんだ後、気を取り直したように居住まいを正す。

「…やあ、言葉を話せるようになったんだね。僕はナギザ。ここは君の看護用の部屋だよ。自分の名前はわかるかな?」
「…わからない」
「そうか…。君の名前はエリケ。君は…人造人間だ。僕の死んだ妻に似せて作ったバイオロイドさ。僕が君を作ったんだ」
「人造人間!?バイオロイド!?」
「そう。つまり君は人工の疑似人間という訳さ」

 ナギザと名乗る男性の言葉に私は衝撃を受けた。ナギザは私が人工的な生命体だと言うのだ。

「驚くのも無理はない。君は作られてからずっとぼんやりとして意識が曖昧な状態だった。どうやら教育用支援ロボットと知力向上薬物のおかげで急速に認識力が発達したようだね」

 そう言われ、私はベッドの側にたたずむロボットに目をやった。目が合うとモニターに映るアニメーションが笑顔を深めた。
 私は自分の記憶を探ってみる。断片的な記憶がよみがえる。
 確かに私はこのベッドの上で、ロボットと時折訪れるナギザにまるで赤ん坊のように世話をされていたようだ。
 本物の赤ん坊の姿が一瞬頭の中をよぎった。不明瞭な記憶だったがそれが赤ん坊であると私は認識できた。
 赤ん坊に対する記憶にしろナギザと話す事ができる言語力にしろ、私はどうやって習得したのだろうか。バイオロイドというのはそういった知識を植え付ける事ができるものなのだろうか。科学的なアプローチだろうか?…科学的なアプローチ?

 なんだか頭の中がひどく混乱してきた。頭痛やめまいがする。

「あせる事はないから、ゆっくりと調子を上げていくと良い。それじゃあまた来るよ」

 そう言い残してナギザはそそくさと部屋を後にした。スライド式の扉は、扉の横の壁に設置してあるパネルに触れると開くようだ。
「お加減は如何ですか?」
 ロボットがこちらの様子を伺っている。
 私は頭痛がするので額に手をあてようとしたが、腕がほとんど言う事をきかない。力が入らないし関節も凝り固まっているようだ。
 私が腕を持ち上げる事に四苦八苦しているとロボットがサポートをしてくれる。私の腕に自信のアームを添えて私が動かそうとしている方向に誘導してくれた。

 ロボットに支えられながら私は体を動かくトレーニングを始めた。こういった作業をリハビリテーションという事を私は知っているようだ。
「お体に痛みはありませんか?」
 ロボットが質問をする。
 これからしばらくはこのロボットの世話になる事だろう。私も質問をする事にした。

「あなた、名前はあるの?」
「私の名はカロンです」
「あなたはどういった理由で作られたロボットなの?」
「私は教育と生活支援の為に作られました」

 なるほどカロンは支援型のロボットなのか。それにしては形状が不格好だ。アームは一本しかないし、躯体底面の移動用のキャスターも貧弱そうに見える。
 これは製品として作られたものじゃなくて誰かの自作かもしれない。ナギザだろうか。それとも彼の妻だと言っていた私の元になったエリケだろうか。
 まぁ、そんな事はどうでもいい事だ。とにかく早く自分で自由に動けるようになりたい。

 他にすることもない私は、とにかくリハビリに集中した。私の体は思ったよりも酷い状態ではなく、凝り固まっていた筋肉や関節をほぐしていくと、みるみる可動域が広がっていった。
 私は目が覚めてから数時間のうちには何とか立ち上がる事ができるようになったが疲労困憊ですぐにベッドに寝転がった。
 そのうちにナギザが再び現れた。手には食器の乗ったプレートを持っており、良い匂いが漂ってくる。

「さあ、夕食を持ってきたよ」

 ナギザが近づくとベッドに収納されていたテーブルが軽い動作音を立てて自動的に展開された。彼はそこにプレートを置く。
 すっかり空腹だった私はさっそくスプーンに手を伸ばしたが、何故かナギザがそれを横からかっさらった。
 ナギザが食器を持ち上げて中の食品をひとすくいした所で私と目が合う。

「あ、そうか。もう君は自分で食べられるんだね」

 ナギザは苦笑いを浮かべて私に食器を返してくれる。
 食事はほとんど流動食のようなものだったが味は悪くない。
 手の動作に少しおぼつかない所もあったが、あっという間に平らげてしまった。

「明日の朝食からは普通の固形食を用意しよう」

 ナギザはそう言い残し食べ終わった私の食器を持って部屋を出て行った。
 私はお腹が膨れた事で眠くなってきた。
 疲れてリハビリの続きをする気力もないので、さっさと寝てしまう事にする。
 明日は部屋を出る事ができるだろうか。

 翌日、私が目覚めると、それまで一切物音を立てていなかったカロンがベッドに近寄った。

「おはようございます」
「…今は何時?」
「午前6時57分です」

 私は自分の口から自然に出てきた『時間』という概念に思いを巡らせる。『午前』という事は一日の前半部分という事だ。

「一日は…24時間だったよね?」
「地球時間に合わせてこの星では24時間方式を取り入れています。この星の正確な自転周期を私は存じ上げておりません」
「…なんだって?この星?ここは地球じゃないの?」
「違います」

 …ここは地球ではない?
 驚く私だが頭の中に「植民星」や「惑星開拓」といった言葉が浮かんだ。
 詳しい事を思い出そうとしても霞がかかったように頭の中がぼやけてしまうが、ここはそういった星の一つなのかもしれない。

「ここは植民星なの?」
「私は存じ上げません」
「役立たずね」
「申し訳ありません」

 私の悪態にカロンの表情アニメーションが申し訳なさそうな顔を作る。
 ロボット相手にこれ以上無体を働いても意味がないので私はひとまずリハビリを開始した。


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 この物語はフィクションです。
 実在する名称、テクノロジー等とは一切関係がありません。
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 全7話です。


 


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