ノイズキャンセリング・キャンセリング
繁華街で紛失した2代目のワイヤレスイヤホンに代わり、ノイズキャンセリングを搭載した同系の最新モデルを購入した。世界が変わるという程ではないものの、やっぱり前回モデルよりは静かに、音そのものを味わえている気がする。
けれど、消えたノイズと同じくらいの寂しさを抱えることになった。
と言うのも、私は電車によく乗るため、イヤホンをつけつつも、車内アナウンスを気にしている。他にも、朝の小鳥のさえずりや他人の会話、その他諸々の情報をたくさん仕入れようとしている。それがノイズキャンセリングにより、ほとんど聞こえなくなってしまった。困った困った。
日常の音もノイズと一口に言ってしまえば、邪魔者のように聞こえるかもしれないが、私にとってはノイズも生活の一部であり、ノイズのファンなのだ。ノイズ聴きたさに、イヤホンをつけない手もあるが、なんせ私は無類のラジオファンだ。このエッセイを書きながらも"オールナイトニッポン"を聴いている。ラジオもノイズも聴きたい。要するに欲張り人間なのだ。こういう欲張り人間の願いを叶えるために科学技術が進歩してきたのだ。許してほしい。
人生においてもノイズは必要だと感じる。人生、純粋に生活を送っていくのも素晴らしいことだ。しかし、エッセイを書いている時間しかり、意味不明な時間も、長い人生で見れば必要だろう。その時間から生まれる知識や経験なんてものは、日常生活では8割方役にたたない。しかし、時として何よりも強い武器になる瞬間もあるらしい。だからこそ、ノイズっぽいこともキャンセリングしないでいこう。