Spinoza Note 20: [定理7] 実体の摂理に存在がつき従う
定理7を検討する。原文は以下の通り:
Eliot訳:Existence belongs to the nature of substance.
Elwes訳:Existence belongs to the nature of substances.
畠中訳:実体の本性には存在することが属する
高桑訳:実体は、存在するということをその本性としている
前項(定理6)で実体が相互に他の原因とならないとした。ここから定義1を参照し、実体が必然的に存在を伴うと証明する。定義1を論理式に翻訳していない。定理7も翻訳を留保する。
先に、定義1から「神は他に原因を持たない自律的存在であり、常に生成流転して物事を生じさせる。神の働きによって物事が生じなければ、我々は神の摂理を把握できない」と読み取った。これは定理6を既に含んでいる。ゆえに定理7は定義1冒頭の「神は常に生成流転して物事を生じさせる」の引用と考えられる。特に論理操作を要しない。
定理7を「事物を生じさせるのは substance の摂理である」と解釈する。こう読むのは substance を Being と理解し、その活動により存在 existence が産み出されるからである。つまり、訳者らと解釈を異にする。日本語訳は「実体」が主語、「存在する」が述語のように読め、違和感を覚える。自分なら「実体の摂理に存在がつき従う」と訳す。英訳はそんな感じだ。