Spinoza Note 52: 物体 corpus
Elwes訳:By body I mean a mode which expresses in a certain determinate manner the essence of God, in so far as he is considered as an extended thing. (See Pt. i., Prop. xxv., Coroll.)
粗訳:物体は様態であり、ある定まった方法で神の有りかた、すなわち属性・延長を表現する。(第1部定理25を参照のこと)
第1部「神について」で何度か延長について説明があったので、繰り返す必要は無いだろう。なぜ物体から定義を始めるかは気になるが。ついで定義2をみておく:
Elwes訳:I consider as belonging to the essence of a thing that, which being given, the thing is necessarily given also, and, which being removed, the thing is necessarily removed also; in other words, that without which the thing, and which itself without the thing, can neither be nor be conceived.
工藤&斉藤訳:ものの本質とは、
それが与えられれば、そのものが必然的に定立され、
除去されると、そのものが必然的に消滅するようなもの、
あるいはそれがなければ、そのものが存在することも考えられることもできないようなもの、
また逆にそのものがなければ、それが存在することも考えられることもできないようなもの を言う。
畠中訳:それが与えられればある物が必然的に定立され、
それが除去されればそのある物が必然的に滅びるようなもの、
あるいはそれがなければ在る物が、また逆にそのある物がなければ
それが、在ることも考えられることもできないようなもの、
そうしたものをその物の本質に属すると私は言う。
回りくどくてわかりにくいが、本質 essentiam を定義しているらしい。しかしこの複雑な構文の意図はなにか。そのことが気になる。訳者も混乱しているのではないか。
最初に物体から始めるのは、肉体を話題にしているのだろう。とすると、定立されたり、消滅したりするのは人間肉体だ。本質が神の働きだとすると、神が働くことで肉体が与えられ、働きがなくなると肉体が消滅する、すなわち「死ぬ」ということだ。なんかわかってきた。定義2の後半はどうだろう。少し一般化して、神の働きがなければ肉体について考えられないと言っているように思われる。そして最後に、肉体がなかったら神の働きについて考えられないと言っているようだ。
つまり、人間の肉体が神の働きにより生じると言っているわけか。第2部は精神がテーマだが、最初に肉体について書くわけだ。外堀を埋めていくタイプの書き手なのだろう。