Spinoza Note 22: [定理9] ものの真実味が増すほど属性が増える
定理9を検討する。ものの属性が増えていく話だ。
Eliot訳:The more reality or being a thing has, the more attributes belong to
it.
Elwes訳:The more reality or being a thing has, the greater the number of its attributes.
畠中訳:およそ物がより多くの実在性、あるいは有をもつに従ってそれだけ多くの属性がそのものに帰せられる。
高桑:事物がより多くの実在性、もしくはより多くの存在をもつにしたがって、それだけ多くの属性が、その事物のものになる。
'res' (a thing、もの) は実体としてよかろう。「実体がより多くのBeing をもつほどそれから生まれる属性が増える」と読む。これが定義4からただちに証明できるという。定義4は 「実体に関して、その Being (生々流転する様)を成していると知性が認識するものを属性という」とした。
証明になっているのだろうか。Jarrettが試みた論理式への翻訳だと、この定理を証明するために新たな公理を導入している。以下のようなものだ:
意味:あらゆる実体 x と y について、x が y より多くの実在性をもつなら、x が y より多くの属性をもつ
そうだろう、これがないと定理9を証明できない。Spinoza の証明は不完全だ。
しかし気になるのは realitatis である。'esse' と並置されているから同等と捉えてよいのだろうか。先に(Spinoza Note 18: 属性と実体で認識方法が異なるのはなぜか)Ibn Arabi の段階説を紹介した。絶対無限の神が事物を創造するとき、一から多が直に生まれるのではなく、一が多くの属性に(いわば)細胞分裂し、それから事物となる。
Spinoza の言を深読みすると、一が多くの属性に細胞分裂する前に、一がより多くの realitatis を有するようになると考えているようだ。実体(絶対的一者)と属性(相対的一者)の間に、何かまだ段階がひとつあるように読める。いったい何が生じているのか、あるいは起きているのか。
realitatis と 'esse' が等価として、訳を試みる:もの(=実体)がより真実味を帯びるほど、つまりは(物事を生じさせる)Beingとしての活動が活発になるほど、そのものの属性が増える。
実体(=神)の活動が活発になるほど属性が増えるらしい。元気なほど細胞分裂が活発になる。もっともらしい説明だ。「真実味を帯びるほど」としたが、realitatis はrealitas formalis ( Spinoza Note 17: 真理が現実に合致する、を参照のこと)だから、「我々の外にある事物をより明確に形作るほど」と解釈した。
「(我々の外にある)事物をより明確に形作るほど、実体の属性が増える」のは確かに自明である。Spinoza にとっても、当時の人たちにとって当然のことだったのだろう。だからその仮定をわざわざ公理として置かなかった。証明が不完全だが、誤りではない。