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国連の皇室典範への物言いは的外れ…(?)
あたかも、筆者直近の拙稿(「砂漠に水を撒く 6」)に呼応するかのように、国連女性差別撤廃委員会から、「女性天皇を認めるよう皇室典範を改正すべき」との提言があったという。
誤解なきよう急いで付記するが、タイトル中の「的外れ」とは、提言が真の問題を射抜いていないの謂いであって、政府やネトウヨたちの「内政干渉」一辺倒の脊髄反射とは真逆である。
女性天皇を認めればそれで済む話ではない。真の問題は、女性も男性もふくめ、天皇皇后をはじめ皇族方はひとしなみに人権を剥奪されていることにある。皇室典範とは文字で書かれた監獄であり、かれらは終身刑に処せられた囚人である。かれらには行動の自由も、表現の自由も、職業選択の自由もない。
それは違うという人がいたら、その人は想像力が欠けている。自分を皇族のおかれた立場に置き換えてみたことがないのである。生身の人間を象徴と規定する残酷!!
よって国連が的にすべき(改正を進言すべき)は、皇室典範ではなく憲法第一条であり、その削除であった。
干渉するなという「内政」の実態は「皇位継承にかんする有識者委員会」のことだろうが、そもそも、天皇の跡継ぎを決める権限が天皇家自身になく、赤の他人である「有識者」らにあるとするのはひどい話ではないか!?
思えば小泉政権時、悠仁が誕生するとにわかに当委員会が事実上休会然となったのは、石化脳政党のご都合主義がうかがえて嗤えた。
委員会の議論の中身はほとんど報道されないが、なぜこんなに時間がかかるのかと不思議でならない。要点はひとつ。すなわち、
なにがなんでも男系を通そうとするなら昔も今も後宮(ハーレム)制度しかあるまい。よって後宮を容認するか否かの二択である。
それが決まらないということは、コチコチの男系原理主義者らも、現代の価値観に忖度して「後宮」を言い出せないでいる(実際、議事をチラ見すると、とってつけたような珍無類な方策を提示している)ということか? お上品な偽善に嗤ってしまう。
ことほどさように、男系主張者も女系容認者も、天皇皇后以下皇族方の実存や生き方には全く関心がなく、皇位継承のプロシジャ、システム、形式こそが大事なのである。天皇制維持という価値観はそれ以上のものではない。
❊余談として、昨日スペインから飛び込んできたニュースをひとつ。
先日200人を超す犠牲者を出した大水害の現場を慰問した国王夫妻が村民から泥を投げつけられたという。
誤解を恐れずにいえば、かつ藤原新也のアフォリズム(「ヒトは犬に食われるほど自由だ」)風にいえば、「国王夫妻は泥をぶつけられるほど自由」なのだ。
ひるがえって、この国の天皇皇后が市民に泥をぶつけられる場面は想像もできないが、それはふたりが常時、不可視の堅固な繭に包まれているからで、より一層、その不自由度が偲ばれる。