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アンチスノッブ 上田秋成
戦後の保守一党支配政治を延々とささえているこの国の空気をスノビズムといってきた。スノビズムとはなにか? その特性リストを並べるよりも、ここではアンチの典型をあげて逆照射してみよう。
『雨月物語』の上田秋成である。最晩年に、今でいうブログのような『胆大小心録』をものしている。これを引き受ける気骨ある版元があったことに感動する。なかでもっとも痛烈かつ痛快な断案をひとつ。
「どこの國でも其國のたましひが國の臭氣なり」と喝破し、「やまと心のなんのかのうろんな事」をと一蹴している。国学も宣長もなんのその、けちょんけちょんである。
後醍醐天皇の鎌倉幕府転覆の企てが露見し、北条方が京から内情を知るとおぼしき公家を下させ糾問する。「あからさまに申されよ」と問われて、くだんの公家が、
おもひきやわが敷島の道ならで浮世のことをとはるべしとは
と答えると、感極まって北条は赦免して返してしまう。
公家も公家なら、北条も北条。これをとがめられない北条など「家亡ぶべきものよ」とやる。
同じとき、千早責めの大将らことごとく召し取られて六条河原で首を刎ねられたなかにある下っ端武士がいて、かれが詠んだ辞世。
皆人の世にある時は数ならでうきにはもれぬわが身なりけり
「実に涙落つることわり也」と書く。絶妙な対比と批評眼ではないか。これがいまのメディアに欠落しているものである。上田の洞察は『私は貝になりたい』の遠い先駆である。
森友学園問題で財務省の出先の役人が自殺したが、上の下級武士の再現である。その淵源には元シュショーAがいたわけだが、いましも衣鉢を継いだ子分たちがせっせとやっていた裏金蓄財を見れば、スノッブのなんたるかは一目瞭然。
そんなAを国葬をもって遇した現シュショーKのかかげる「刷新」を秋成なら何と評したことだろう…?