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私には価値が無いのかしら? #003

私は幼少期に十分な愛情を受けることができずに育ちました。その経験が、今の私に強い執着心を生む原因になっているのではないかと感じています。人や物、関係に対して手放すことができず、過剰に固執してしまう傾向があり、そのことで自分自身が苦しむこともしばしばです。この執着心の背景には、幼少期の愛情不足が深く関わっていると自覚しています。

愛情を得られなかった経験が生んだ「手放すことへの恐怖」

子どもの頃、私は親から無条件の愛情を十分に受けているとは感じられませんでした。両親は私に対して厳しく、時には冷たい態度をとることもありました。感情を共有する場面も少なく、愛されているという安心感を持つことができなかったのです。この経験が、今の私にとって「誰かに必要とされたい」「見捨てられたくない」という強い欲求を生み出しているのだと思います。

幼少期に愛情を得られなかったことで、私は人との関係において、常に「手放すこと」や「失うこと」を恐れています。自分にとって大切な人やものが一度手の中に入ったら、それを失うことを極度に恐れ、執着してしまうのです。例えば、友人との関係でも、少し距離を感じると「私が見捨てられるのではないか」と不安になり、その関係を維持しようと必死になってしまうことがあります。このような執着心は、かえって関係を悪化させてしまうこともあると感じていますが、どうしても「手放すこと」への恐怖を克服できません。

認められたいという強い欲求

愛情不足の経験から、「自分は価値のない存在なのではないか」という思いを抱きながら成長しました。幼少期に親から認めてもらえなかったことで、他者に認められたいという欲求が非常に強くなりました。これは、仕事や人間関係においても強く現れています。私は常に誰かに「良い人だ」と思われたい、認められたいという気持ちがあり、そのために過剰な努力をしてしまうことがよくあります。

例えば、仕事で周囲の期待に応えようとして、無理をしてでも完璧を目指してしまうことが多々あります。そして、もし期待に応えられないと、自分が無価値な存在だと感じ、強い焦りと不安を抱くのです。これも一種の執着心だと思います。他者からの評価に依存し、自分の価値を他人の目を通してしか見られない状態が続いています。人に認められないと感じた瞬間に、自分が「存在しない」ような感覚に陥り、その不安感から抜け出せなくなることがあります。

人間関係における依存とコントロール欲

私の執着心は、特に親しい人間関係において強く表れます。愛情を受けられなかった幼少期の経験から、私は「見捨てられる」ことに対して非常に敏感です。そのため、親しい友人やパートナーに対して、過剰に依存してしまうことがあります。彼らの一挙一動に影響され、少しでも距離を感じると不安になり、「どうにかして自分を見捨てないでほしい」と願うようになります。

例えば、パートナーが少しでも自分に関心を示さなくなったと感じると、「私に何か問題があるのではないか」と不安に駆られ、相手に対して過剰な愛情を示すことで関係を維持しようとします。しかし、こうした行動は相手にとっては重荷となり、結果的に関係が悪化してしまうことがあります。それでも私は、相手が離れていくのではないかという恐怖から、相手をコントロールしたくなる衝動に駆られます。相手の行動や感情をコントロールすることで、少しでも安心感を得たいという気持ちが、私の執着心の根底にあるのです。

物質への執着と「満たされない感覚」

私の執着心は、人間関係だけでなく物質的な面でも強く表れます。愛情を十分に得られなかった経験から、私は物質的なものに対しても「手に入れたものを失いたくない」という感情を強く抱くようになりました。特に物を手放すことが苦手で、必要以上にものを溜め込んでしまう傾向があります。

例えば、洋服や日用品、趣味のアイテムなど、自分にとって「価値がある」と思ったものは、なかなか捨てることができません。「もし手放してしまったら、二度と手に入らないかもしれない」「これがなくなったら、自分の生活が不安定になるのではないか」という考えが頭をよぎるからです。しかし、物を手に入れてもそれによって満たされることはなく、常に「まだ足りない」と感じてしまいます。物質的な執着は、心の中にある「愛情の欠如」を埋めようとする試みの一つだと思いますが、物質で心の穴を埋めることはできず、結局は満たされない感覚が残り続けます。

執着心がもたらす過剰な完璧主義

私の執着心は、完璧主義にもつながっています。愛情不足の経験から、私は「完璧でなければ愛されない」「何か特別なことをしなければ認めてもらえない」と感じてしまうことが多いです。そのため、仕事や生活において常に完璧を求め、少しのミスや失敗が許せなくなってしまいます。完璧でなければ、自分の価値がなくなるのではないかという恐怖が、私の行動の根底にあるからです。

例えば、仕事でプロジェクトを任されたとき、何が何でも完璧に仕上げようとします。そのために多くの時間を費やし、他のことを犠牲にしてしまうこともあります。完璧を求めるあまり、周囲との協力を拒み、すべて自分でやり遂げようとしてしまうこともよくあります。しかし、こうした完璧主義は、常に不安やプレッシャーに追われる結果となり、心の余裕を失ってしまうのです。

執着心が生む「未来への不安」

私が抱える執着心は、未来に対する不安にも直結しています。幼少期に愛情を十分に受けられなかったため、私は将来に対しても「何かを失うのではないか」という恐怖を常に抱いています。未来が不確実であること自体が不安であり、そのために今の状況をできるだけコントロールしようとしてしまうのです。

特に、私が気に入っている現在の状況や人間関係が変わってしまうことへの恐怖が強く、「今の状態を守らなければならない」と感じています。例えば、友人との関係が変わること、仕事の環境が変わること、生活のリズムが崩れることなど、未来に対する変化が訪れるたびに、不安に襲われます。そして、その不安を埋めるために、現状を必死に維持しようとする執着心が生まれるのです。しかし、変化は避けられないものであり、そのことを理解しながらも、心の中ではどうしても受け入れられず、未来への不安が私を支配し続けています。

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