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初の成果発表会を終えて|探究心の意義と学校教育のポテンシャル

2月11日(火・祝)に、Fora主催で、初の成果発表会を開催しました。
学校での先生方の指導、メンターの伴走指導もあり、非常に素晴らしいプレゼンテーションばかりで、会場に来てもらった大人の方々から感動の声が上がってました。(私の事前予想をはるかの上回る本当に素晴らしい発表でした…!次年度も開催しますので、ぜひお越しください!)

その中、主催者 兼 審査員長として、グランプリ決定を行う重責を担いまして、この1週間はずっと自分の判断について考え続ける日々でした。その場での講評も行いましたが、1週間ほど考えました内容を含めて、感想も含めて、お伝えできればと思います。


1、「探究心」の大事さ

探究学習は課題解決学習とは区別されます。まさに総合的な”学習”の時間から総合的な”探究”の時間に込められた願いですが、課題設定を自分自身で行うことが探究の最大の特徴です。どんな問いに向き合いたいのかを、自分の生き方・在り方に照らしながら決めるのが探究。言い換えれば「もっと深めたい」「もっと知りたい」という動機(探究心)を大切にしているのが、探究学習の在り方だと思います。

もちろん、課題を適切に解くことも探究的な技法を取得することも重要です。とりわけ、生成AIの発展などで批判的に物事を捉える重要性は高まりますし、インタビューで生の情報に触れることも大事ですし、仮説を立てて探究を進めることは将来にも役立つ大切な技法だと思います。

それらも重々承知した上であえて言えば、「探究心」こそが探究の駆動力(ドライバー)だと思います。体験を通した振り返りでの気付き、調べた上でもっとなんだろうと湧き上がる疑問や好奇心、この魅力を伝えたいのだという推し活のような気持ちや、逆に上手に魅力が伝わらないもどかしさ、こうあって欲しいとの願い、どうすれば良いのだろうか。テーマに問わず、探究のスタートはもちろん、探究の過程で芽生える探究心こそが大切なのだと、改めて感じる会でした。

発表会に参加した生徒の1人が印象に残っています。その生徒は日本社会について緻密にデータを集め、分析をしながら会場を驚かせていたのですが、質疑応答の際に、仮説を聞かれた時にまだその解像度が必ずしも高くはありませんでした。その生徒が最後に行ったのは「いろいろ調べているが、本当にどうしたらいいか分からない。それが今日、ここに出場した理由です」と発言していたのが非常に印象的でした。そういう探究心こそが生徒たちの成長につながる。生徒たちが卒業後も自分なりに学び続ける、まさに生涯学習のベースとなる探究学習の意義を見たような気がします。

そして、発表会終了後のアフターファンクションの際に、日頃政策提言の仕事をしている審査員と、その子が話している様子が印象的でした。ともすれば成果やパフォーマンスで評価されがちだと思いますし、また探究心を育むことは言うは易しで非常に難しいことであることも重々承知はしているのですが、理念型として目指していくことの大切さを感じた気がします。


2、「正解主義」から「暫定解主義」への転換

「20世紀は正解主義だが、21世紀は自分なりの納得解を見つけていく納得解主義に立とう」これが、教育実践家の藤原和博さんの主張でした。まさにその通りだなと思いながら、自分なりに納得解を模索してきたのですが、今回の発表を通して思うのは、暫定解主義に立とうということです。

暫定解は、今日、いまこの時点での最善の解答。いわば仮説です。もちろん進路選択などの重要な場面では、どこかで1つに決めて納得解を導くことも大切なのですが、探究の過程ではむしろ解を一つに決める姿勢よりも、現時点での暫定解をより良いものにアップデートし続ける姿勢が大切なのだと感じます。

それを象徴するようなシーンが2つありました。1つは、当初の仮説とは違ったデータが収集されたチームがありました。そういう場合だと安直には「仮説が棄却された」と検証の失敗として捉える発想が意外と根強かったりします。ですが、本当の探究は違うデータが出てからこそ、なぜだろうと新たな疑問が生じ、それを説明するための新たな仮説を生成しようとする姿勢があり、そういう姿勢からこそ、実際にも発見に繋がることもあります。一言で、セレンディピティーとも呼ばれるその瞬間は、暫定解主義だからこそ生まれてくる姿勢なのだと感じます。

もう1つは、質疑応答の際に、いきいきと答えてくれるチームの存在です。ほとんどのチームがそうなのですが、質問に対して「よくぞ聞いてくれました」と試行錯誤の過程で実は考えてきたこと、まだ答えが出てないけどまさに考えていること、そもそも探究に掛ける想いに触れる話など楽しそうに答えてくれます。審査員からの質疑応答は、なにかが露呈するような苦しいものでもなく、質疑応答に応えることで意見交換が促される機会と捉えてくれる姿勢は、より良い探究を目指そうと思っているからこその姿勢な気がします。

探究において、言いたいことがあるからデータを集めるのは正しいけれども、それだけでは不十分です。そもそも仮説を立てるのも、検証を行うのも、問いに対しての答えを導くための手段に過ぎません。根拠付けのためだけに検証を行うのではなく、現時点での仮説をまさに「暫定解」としてそこにこだわり過ぎず、もっと知りたい、もっと深めたい、真理に近づきたいという姿勢が大切なのだと思います。

そしてその姿勢が、建設的な議論や対話に繋がるはずです。他者と議論するとき、その目的は主張と通すことがゴールでも、相手の論理的なミスを指摘するのが目的でもなく、自分の凄さをアピールすることが目的でもないはずです。共通の問いを模索し、一緒に問いや目的に向かって、暫定解の意見交換をしながら、解の質(問いの質)をブラッシュアップしていくことが目的のはず。今回の発表者の皆さん、そして審査員の皆さんとは、一緒に探究するような空間を作れたような気がしていまして、本当に皆さんに感謝の限りでした。


3、科学的なアクション

東大で起業家教育などに従事される馬場隆明先生は、『仮説行動』の中で、海外の起業家教育において行われた実験結果で「科学的思考(仮説思考)を学んだ群とそうでない群の一年後の平均売上比較」を紹介しています。学んでいない層が1年後平均して約4万円ほどしか売上を上げられなかったのに対して、学んだ層の平均は約176万円だったそう。この結果の分析として「仮説検証をちゃんと行なったかどうかの差」が主要な要因の一つで、学んだ層はアイデア(仮説)を変える回数が多かったのだと紹介されています。

生徒たちの発表のほとんどは、アクションが実施されているだけでなく、ほぼすべての発表において複数のアクションを重ねながら迫っていたのが素晴らしく印象的でした。データ分析にしても、プロトタイプにしても、インタビューにしても、実演販売にしても、どれも一つ一つが問いから合理的と思われる仮説を立て、その結果行動を起こし、考察をしている発表ばかりでした。発表当日も、実際のリーフレットや、商品開発のプロトタイプも紹介されたほか、大人たちが驚くようなアクションを繰り返す生徒たちの発表が見られ、その領域についての解像度が高い状態が見られました。

もちろん闇雲にアクションを行えば良いわけではありません。ですが、大人の想像を上回るほどの情熱を持ち、熱量が高く行なっている姿を見ていると、それ自体がすごく尊いなと思います。それを続ける過程で解像度がどんどん高くなり、いつかきっと目指したい答えや方向に辿り着けることを願ってやまないですし、いつかきっと「あの時頑張ったな」と振り返る日が来たときにきっと自分の背中を押してくれる日が来るのだと願ってやみません。


最後に

主催団体で審査員長の立場から、自分自身が「探究の楽しさや奥深さ」を審査員と一緒に体現できればと考え、当日に臨んでいましたが、会場の雰囲気を見るにその目的を一定果たすことができたのかなと一安心です。

ですがそれ以上に振り返って思うのは、日頃、ご一緒させていただいている先生方の尊さでした。発表会終了後のアフターファンクションでも、生徒を預かられている先生方が、本当に探究に対して向き合い、悩まれ、試行錯誤されていることを感じますし、先生方同士で「ぜひあの先生と話したい」という声が上がっていたのがとても印象的でした。いかに良い探究授業を作っていけるか。それが私たちの問いであり、先生方の問いでもあり、会場にお越しの先生方で一緒に目指していく探究テーマなのだろうと一体感を感じられた機会でもありました(本当に日頃からありがたい限りです)

そして、教員という最も身近な大人が探究者であることは、生徒の皆さんにとって、それはすごく幸せな出会いになるのだと思います。よく探究は「掴み取る学び」と言われます。確かに受動的ではなく、主体的な学びではあるので一面正しく、高校卒業以降はまさに「自ら機会を生み出し、それによって自らを成長させること」が大事だとは思います。

ですが、高校生にとって、いきなり社会に飛び出し、学びを掴み取っていくことは相当困難が伴います。そんな時に、たまたま出会うことになる身近な大人の教員が探究者であることは、生徒たちの一歩ずつの挑戦を後押ししてくれる、そんな存在なのだと思います。

そんな奇跡的な出会いを生み出すことが、学校教育制度が持つポテンシャルであり、存在意義でもあり、醍醐味でもあり、まさに全国すべての高校で導入が行われた理念なのだと感じていますし、今回を通して、改めてその可能性を感じました。

その最後を担われている先生方には頭が下がる思いで一杯ですし、これからも良い探究を目指して頑張っていきたいなと思います。そんな決意を込めて長文となりましたが、感想とさせてください。改めて、今回関わってくださった皆様、本当にありがとうございました。これからもよろしくお願いいたします

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