お便り投書箱にお答えします②
こんにちはございます(PM1:05)。
過激な内容からのろけから愚痴から批判から質問まで、あらゆる投書が届く今日この頃。いい滑り出しですね。リンクは一番最後に貼っておきます!
ということで【自粛警察】について。
ラジオネーム“さっち”さまよりお便り!
自粛警察というのがありますが…Instagramで…
使っている洗剤をupすると…環境に悪い!と言われ。
レトルト食品をupすると…体に悪い!と言われ。
レジ袋をupすると…ゴミが増える!環境に悪い!と言われ。
自粛警察ならぬ、環境警察!?添加物警察!?みたいな感じで見張られている感じがします。どうしたら気にしないでスルーできるのか、ふじもとさんのスルー術がございましたら御教授いただけると幸いです。
えええ…怖過ぎやん…好きにさせてよ…爆
ちなみに近いお便りでこういのも来てました!前回投書で紹介しました“恋する野生人”さまです。
【批判したいことあるけど誹謗中傷になるからSNSで言えない話】
自粛警察へ
コロナ渦の時に「家にいろ!!」とか色々と叩いてたけど、その人はもしかしたら仕事かもしれないし、どうしても外出しなきゃい状況かもしれない。
自分が見た映像や文字だけを切り取り、それが全てと思ってないか。「もしかしたら…」とその背景は考えないのか。
Yahooニュースのコメントも同じ様な臭いを感じる時がある。
なるほどなるほど、と。
ちょっとド真面目に書こうっと…ということで食事をしました(PM1:58)。
自粛警察で考えること
頂いたお手紙を元にいくつか考えることがあるので、分けて書いてみます。
1、人はなぜ自粛警察と化するのか?
2、人はなぜ攻撃するのか?
3、人はなぜ想像力が欠如するのか?
4、スルースキルを身に付けるには?
はい、行ってみよう~
1、人はなぜ自粛警察と化すのか?
これについては、実に色んな方が論じていることでしょうから…それこそ「正解」を述べたいとかそういう話ではなく、わたしの思うことを書いていきます。どうしても「答え」を知りたい方は、ファクトフルネスの261ページからの「犯人捜し本能」の単元を読むといいのでは…
さて、なぜ人は自粛警察と化すのでしょう。今回のコロナの件で考えるとこんな感じかな。
1、コロナが世界で流行った(大きな問題が生じた)
2、それに伴い自粛が求められた(大きな対策を提示された)
3、それぞれの考え方で取り組み始めた(各自対策が行われた)
4、基本的には自粛が大きな策だ(対策も流行した)
5、それぞれの事情で自粛をしないまたは出来ない人がいた(流行に乗れなかったまたは乗らなかった)
6、自粛警察登場!!(流れに乗っていない人を攻撃した)
恐らくこういう動き。
さて、自粛警察につながってくるのは6からですよね。なぜ流れに乗れない人を攻撃するのか。その主張としては「自粛をすることで守れるものがあるからだ」というものかもしれません(単なる憂さ晴らしかもしれません)。
この時に「大きな対策を提示されている」ことが、拍車をかけるのでしょう。「正義」という後ろ盾の元、攻撃を強めることが出来るのですから。
果たしてひたすら厳しく取り締まり続けることで、問題は解決するのでしょうか?わたしはあり得ないと思います。もしそうなら犯罪はすでにこの世からなくなってるはずです。
問題を解決するのは「最有効な対策」か「驚異的な技術」です。
現時点で施行されている対策で問題が解決しなければ、それは最有効ではないんですよね。「現状有効」というだけ。コロナもそうですね。自粛は「現状有効」というだけです。コロナに関してはウイルスなのである程度解決策は見えてるでしょうし、それに向かってまさに進んでいる最中でしょう。
んでその道のりの中で、人々は攻撃し合います。あっちがこう、こっちがどう、と。そりゃそうですよね。問題解決していないんだもん。極論コロナが地球上から消えてしまえば「コロナ自粛警察」も消えます。
すなわち、我々が論争するときは問題解決のために動ている状態ということです。自粛警察が現れるのは、問題がそこにあるからです。良くも悪くもそれだけじゃない?
わたしたちが文明的な生き物である以上、自粛警察は必ず現れます。もし仮に問題が起きても自粛警察が現れなければ、それはわたしたちが滅ぶときです。
2、人はなぜ攻撃するのか?
さて一方で、自粛警察になる人とならない人と、存在しますよね。執拗に探し出しては指摘したり、過剰な注意をしてきたり、なんなら攻撃して来たり…
色々なケースがあるのでしょうが、自粛警察の方々は「他人の行動や考えに介入している」ということになります。それ自体は時に大事な役割を果たしますよね。
例えばさ、ある道を進んでいるときに「おいおい、そっち行ったらいきなり崖が出てきてスっ転んで落ちちゃうよ」と注意喚起することは、その方の安全のために大切ですもんね。食っちゃダメなキノコとか食べようとしてるときもね…
ではなぜその行為が「度を越えて」しまうのか。これにはいくつか理由があると思うのですが、今回は2つほど書いてみますね。
1つは「目的の変化」だと思います。
というのが、上記にあるような「予期できる危険や脅威に対して介入する」すなわち「注意喚起」は、もともと《相手のため》にやる行為ですよね。
その人が危険な目に合わないように…
その人が道を踏み外さないように…
その人が誤ってしまわないように…
こんなある種の「やさしさ」が人を暴徒に変えてしまうんでしょうね。
ここでポイントになるのは、これらの行為は決して「相手を変えるために行うモノ」では無いということです。
どれだけ「注意喚起」をしても、最終的にどうするかはその人が判断する領域です。例えその「注意喚起」を聞かずに、その人がひどい目にあったとしても、それはその人の責任です。
「注意喚起」が足りなかったわけでも、その力が弱かったわけでもありません。その人が、自らの責任で判断を下した結果です。
すなわち、相手を変えたい、相手をコントロールしたい、という欲求が勝ってしまった場合、それは本来の目的とは異なります。
しかし、もし目的が「相手を変えたい、相手をコントロールしたい」になってしまっている場合は、「注意喚起を受け取らなかった」ことは、その欲求を満たせないことにつながるので、悲しみや怒りに変わってしまいます。
そうなると、その感情をさらに相手にぶつけるようになっていきます。こうして人は攻撃をするようになります。
また、自分が好きなものに対してもこういうことが起きます。好きなものを、支配したいという欲求からくるのかもしれませんし、自分が好きなものに介入できる機会と感じているのかもしれませんね。
分かりやすく言うと、自分の好きなアイドルにめっちゃクソみたいなアドバイスをかまして、受け入れられなかったときにブチ切れるあれです。
こうした「相手を変えたい、相手をコントロールしたい」という感情を満たすことで、自分の感情を整理することは、あまり適切ではありません。自粛警察と化している方の中には、このように「自分の感情を適切に処理できない」という問題を抱えてしまっている方がいるのかもね…(だとしたらそれはとても生きづらいことですけどね)
またそれ以外にも、今回のコロナ警察や、投書に寄せられた「環境警察、添加物警察」となっている方も、自分が強く信じる何かを守らない人を見て、「否定」されたような気持になるのかもしれません。
もしくは本当は守りたくないのに仕方がなく守っているルールであるため、守らない人に「嫉妬」しているのかもしれません。これは映画「es」みたいな状況なんでしょうね…
いずれにしても、それらは「不適切な感情処理」に当たると思います。
その人が、本当にその問題をなんとか変えたいのであれば、自粛警察を徹底するのではなく、「最有効な対策」か「驚異的な技術」を見つけるために前向きになるでしょうから。
まあ中には大切な人を守るために厳しくやってる人もいるでしょうが…例えばコロナなんかは、自粛しない方に対して「家族にうつしたらどうしてくれるんだ!!」という怒りが生れても不思議ではないし、そういう方が誰かを攻撃することはあり得ると思いますしね…。
目的がどこに向いているかは、とっても重要だと思います。恐らく「自粛警察」で夢中になっている人は、その感情がどこに向いているかが、もう分からなくなっているでしょうが…
3、人はなぜ想像力が欠如するのか?
想像力がすべてだ。それは人生でこれから起こることの予告編である
とは、かのアインシュタインのお言葉です。まあ、これは関係ないけど(笑)
自分が見た映像や文字だけを切り取り、それが全てと思ってないか。「もしかしたら…」とその背景は考えないのか。
これですね。これはどうしてなのでしょうね?芸能人が叩かれるときとか、大抵こんな感じだと思うけどな(笑)
これについては心理学者の「ブライアン・R・リトル」が著書で述べていることがあり、わたしはこれがしっくりくる考え方です。
人間には「ヒト志向」と「モノ志向」の人がいるという考え方です。
ヒト志向の方は、人間的な部分に惹かれます。
モノ志向の方は、物理的は部分に惹かれます。
これはどちらが「正解」という話ではなく、モノの見方や捉え方は人によって差が生じている、というだけの話。また、どちらかしか持っていないわけではなく、バランスや優先順位が違うのかなあと。
ヒト志向の人は、そこにある背景や意味を考えたり見ようとしたりします。一方でモノ志向の人は、客観的な事実や状態に注目します。
例えば1曲の歌があるとしますね。
その曲が「誰のためにどんな意味で歌われたか」とか「どういうアーティストが歌っているか」ということに注目するのがヒト志向です。
一方で「どんな楽器で演奏されているどんなクオリティか」とか「世間でどのくらい売れて評価されているか」ということに注目するのがモノ志向です。
そのうえで評価や判断をしているんだと思います。なので「モノ志向」が強いと、相手の背景には目を向けません。だからといってそれが必ず攻撃に繋がるわけではないですが(それは前述の通りです)。
こうしたものの見方が違うことから、「自分が見た映像や文字だけを切り取り、それが全てと思う」傾向の方、がいるんだと思います。
「モノ志向」は大切な見方の一つです。客観性や事実が欠けてしまうことは、時に危険なモノの見方になることもありますからね。研究や医療などでは特に大きな影響を及ぼしかねません。あと株式のような数字を扱う人が、「ヒト志向」が強いと大変でしょうね…(笑)
両者の意見は基本的には食い違います。そりゃ見方が全然違うんだから当たり前だよな(笑)
あまりにも有名になったこの絵が分かりやすいですね。ヒト志向、モノ志向は関係ありませんが、この真ん中のドレスの色は何色か?という問題。
左のように「青黒」に見える方と、右のように「白金」に見える方がいるんですね。両者の意見は決して交わりません。
ちなみに「ヒト志向」の方は「こんな風に同じものでも違った色に見えるんだなあ、人それぞれだなあ」と考えるでしょうが、「モノ志向」の方は「結局このドレスはどっちの色なの?事実が大事なの」と考えるのではないでしょうか。やはり両者は食い違いますね(笑)
ただ意見は違っていいんです。ものの見方が皆同じだと、それこそ人類はあっという間に滅びるんじゃないか?と思います。
この一つの世界を、それぞれの人が違った見方をしながら、共有できる部分を少しづつ擦り合わせていくという、動的な摩擦こそが、文化を形成させるし、前進させるのでしょうから。
大切なのは、両者がきちんと対話できることじゃないかな。
あとひとつ思うのですが…たとえ相手の背景を考える「ヒト志向」だとしても、なお攻撃する方もいると思います。「モノ志向」の方が攻撃的である、ということでは全くないと思います。
ものすごく大変な背景や、事情があったとしても、主張を貫いてくる人もいると思うし。背景や事情があれば必ず優しくされるということも無いよなあとは思います。
結局のところ「不適切な感情処理」になっているかどうか、なんでしょうね。
4、スルースキルを身に付けるには?
さて最後に大事なのはこれですね。どうしたら気にしないでスルーできるのか、ふじもとさんのスルー術がございましたら御教授いただけると幸いです。
結論から言いますと、わたしは「スルースキル」なるものに否定的です(笑)鍛えることは出来ない前提に立っていますし、あまり考える意味もないと思ってます(あるという方もいるでしょうし、鍛え方を提示している方もいると思います)
わたしたちはどうあがいても、情報の中で生きています。情報というのは五感全てが取り入れてくる外的刺激のことなので、味とか匂いも含まれます。
それらを「選択」し「統合」し「修飾」することで、必要な情報だけが脳内に表出する仕組みになっています。
従って、あなたがいま考えていることは、良くも悪くも「あなたの状態」を表すパラメータのようなもので、ネガティブな情報で脳内があふれている方は、シンプルに弱っているんですよ(笑)
これは情報に対する策で改善できるものとは思えません。弱っているなら、よく休み、よく愛す(ご自愛)ことが大切でしょう。それが一人では難しいなら、仲間や専門機関や医療機関を頼ってください…(極論)
そうはいっても、世の中にあふれる情報に対して無防備でいれば、もっと弱ってしまう可能性もあるので、ちょっとだけ具体策を提示してみます。
◆情報量を減らしてください◆
情報に対する防御力が下がっているなら、そもそも入ってくる情報を減らしてください。簡単です。スマホの電源を切ってしまえばいい。連絡手段として必要、という方も是非。一日くらい連絡取れないだけでめちゃくちゃヤバいことが起こるだろう、という思考自体すでに弱ってますから。
まあそれでも必要だから無理という方は、SNSを断つだけでも十分に情報を遮断できると思います。うまく行くかはわかりませんがやってみてください(手元にスマホを置いたままSNSだけ断つのってめちゃくちゃ難しいですよ笑)
もしくはミュート機能やブロック機能を使いこなすのもいいでしょう。心がざわめく記事や情報はひたすらミュートすればいいし、心無いメッセなどを送って来る方は、手当たり次第にブロックすればいいと思います。
あなたがSNSを活用して収益を上げているようなプロであれば、いくつかの意見に対して寄り添いがあってもいいかもしれません(それも必須ではないと思うけど)
しかし、そうでないなら「自分の領域」なのですから、しっかり自衛しても責められる道理はありません。レッツブロック!!!!!!!
もちろん、心無いメッセが来ないような発信に切り替えることも手段ですが、それはあまりおすすめしません。
自分の発信を顧みることは必要かもしれませんが、そのために「言いたいことが言えなくなる」と、あなた自身が「不適切な感情処理」を選択してしまうようになる可能性があるのでね。
また自分を顧みるような大切な話は、SNSで遠くから一方的に石を投げてくる方とするのではなく、側にいて双方向のコミュニケーションがとれる相手とじっくりやってください。
それが無いという方は…うん…作ろう…やってこう…
如何でしたか?
ちなみにこの記事を書いている途中にこんな投書が来ました。
ふじもとさん!!自粛警察されてた方が、Instagramのストーリーに、買い物に行くファッションを何枚も投稿してました!!
警察休止!?したみたいです!
またいつ巡回が始まるかわかりませんが、何だか自由に買い物やファッションを楽しまれてるようで、私も嬉しくなりました!!
おお…(笑)そうか…(笑)
きっとご本人はしたくない自粛を自分に強いていることがとてもストレスで、結果他人に攻撃することで「不適切な感情処理」を行ってたんでしょうね。しかし私も嬉しくなりました!!とは…良かったね。なんだかんだお互いに与えあってるのかな…(笑)
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