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君の名は。って映画知ってる?

おはようございます。

なんだかんだでnoteを書いている。今日も映画の話だけど、タイトルの通りです。

君の名は。」という映画はご存知でしょうか?

まあ知ってる人も多いであろうし、なんなら観たことある人も多いでしょうから、説明不要でしょうが、一応…(笑)

君の名は。』(きみのなは)は、2016年の日本の長編アニメーション映画。監督・脚本は新海誠、最終動員数は1928万人、最終興行収入は250.3億円で、公開当時は邦画において歴代2位の興行成績であった。WIKIより抜粋

当時、かなりの勢いでヒットしてました。そりゃあこの興行成績を見れば一目瞭然でしょう(なおモンスター鬼滅の刃があるので現在は邦画歴代3位)。

アニメ好きの方からすれば、新海誠監督の新作の位置づけでしょうし、RADWIMPSの主題歌も話題になったので、様々な方面の方から支持されてこのような数字に落ち着きました。

長編アニメーションに飢えていた人々の心にも届いたかもしれません。なんせジブリが新作を出せていないので、ポスト宮崎駿なんて言葉が生まれ、細田守監督や新海誠監督に、そうした白羽の矢が立っていたりします(細田さんなんかは実際にジブリを目指してました)。

君の名は。」はジブリで作画監督を務めていた安藤雅司氏が作画監督を務めており、そういう面でもジブリ感はあったかもしれません(安藤さんってのがまたものすごい人なのです)。

作品については賛否両論が巻き起こりました…ってこの言い方よくされるけど、大ヒットしてなお賛否両論が巻き起こらない作品ってそんなにないと思うけど…(笑)

わたしもそんなに面白いとは思えず、むしろいつもの新海節がそこまで発揮されてないように感じたのと、RADWIMPSが苦手なので(すまぬ)、良かったあ!とはなりませんでした。

けれどあの作品がとても好きだ!という方がいるのも分かります。まあ気になる方は観てみてください。

おい、じゃあなんで君の名は。って映画知ってる?なんて記事を書いたんや!!と、なるかもしれませんが…わたしが今回取り上げたいのは、君の名は。のプロデューサーである川村元気氏の存在です。

映画プロデューサー?

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映画プロデューサーというと、中々表に出ることも少なく、まあ言えば地味な存在かもしれません。

川村氏はその中ではメディアにも出る方だし、作家でもあるので、名前を聞いたことがある方もいるかもしれませんが、他の映画プロデューサーと言われるとピンと来ないかもしれません。

ちなみに「鬼滅の刃」のプロデューサーは 三宅将典氏、高橋祐馬氏、藤尾明史氏の三名ですが、恐らくどなたの名前もピンと来ないのではないでしょうか。映画業界にいればすぐにピンとくる方もいるでしょうが。

なおジブリ作品なんかはプロデューサーとしてのクレジットは殆どが“鈴木敏夫氏”だし、彼も著名かなと思います。

で、映画プロデューサーって何してる人なのっていうね。

いわゆる「製作」を行っている人です。なので日本では製作としてクレジットされていることが殆どです。んで製作ってなんやねん?というね。

製作のやること
・企画立案
・資金調達(出資者候補との交渉、確保)
・プロデューサーチームの編成
・脚本家や映画監督、その他のスタッフ選び
・キャスト選び
・準備から撮影、音楽、仕上げ、作品の完成までの全ての工程の包括的管理
・配給、販売サイドとの交渉
・資金の流れの管理
・ファイナル・カットの権限

おお、めっちゃあるやんけ…と思った方もいるでしょうが、全部を一人でやるとは限りません。

これらをチームでやっていくので、映画製作陣となるわけです。エンドロールをみれば、どの役割を誰がやったのかというのは、分かるようになっています。

映画の中身を作っていくのは、映画監督になるのですが、監督は要するに料理長です。

レストランを立ち上げ、どんなレストランにするか、そのために何を集めるか、などなどを管理していく人が映画プロデューサーになります。

そのため監督の意図するところと、プロデューサーの意図することが違う場合もしばしばあります。もちろん、プロデューサーは自分の意図することを表現できる監督を選任するし、現場では監督が実権を持っていたりするので、話し合いながら色々決めていたりします。

君の名は。」なんかは、そういう部分で新海氏が折れたのかな?と感じる部分もありました(だから酷評してるんだけど)。

しかしプロデューサーとしては映画をヒットさせることも大事な仕事なので、様々な折り合いをつけなくてはなりません。大変。

ただ「企画立案」という非常に重要な役割を担っているのが、映画プロデューサーになります。特に商業であれば、なんでもかんでも映画化出来るわけではなく、そこには様々な条件が付いて回るわけです。

分かりやすい例で言えば、出資者がいなければ映画作れませんが、誰も出資したくない企画を考えても映画にはなりません。し、出資する方はとはいえ損失をするわけにはいかにので、採算の取れる見込みを求めます。そういうことも考えて企画は練り上げられていきますな。

その中で、自分が伝えたいことを映画にしていくのって、すげえ難しいんですよね。


難しい状況の中で、世に作品を届けてくれて、それを観ることで様々な気持ちにさせてくれるのは、とてもありがたいことです。し、やはりそうなってくると商業的には「ある程度みんなが共感できること」などが大事になってきます。

また「宣伝のしやすさ」も大事になってきますね。そうなってくると、すでに一定数のファンに需要のある「漫画原作」を映画化するとうのが、いかにスムーズにことが運ぶかはなんとなく想像がつくのではないでしょうか。

出資する方も「オリジナルの作品です!」と言われるのと「累計500万部売れた漫画です!」と言われるので、どちらの方が損失が少なそうか、判断しやすいですよね。

しかも主演は“あの有名な「〇〇」をブッキングできています!”と言えば、そりゃあもう快く返事すると思います。

それだけが理由では全然ないんですけど、そういうこともあって最近は漫画が実写化されるケースが多いんですよね。

川村さんの言葉

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そんな川村さんに、実はわたしはめちゃくちゃ影響を受けている。

とてつもなく努力家で、諦めないを実践している人だ。あとはわたしにとっては腑に落ちる発言が多く、似たようなことを悩んだり困ったりして育ってきたのかなあ、と勝手に共感している(そこまで話し合ったことは無いしね笑!)

例えば映画プロデューサーという仕事にしても、これは誰にでもなれるものではない。

プロデューサーになるには、まず大手映画会社に就職し、経験を積みながら企画を提出していき、その中で成果があがれば、少しづつ評価にもつながっていく。

これ以外の道筋も全然あるにはあるのだけれど、王道はこういうパターンになる。

例にもれず川村さんも映画プロデューサーを志して、東宝に入社した。しかし、もちろん新人がいきなりプロデューサーへの道に進めることもなく、また企画部などに配属されればまだ機会があるものの、そういう訳でもなかった。

地方の劇場で現場に出る日々だったという。その日々の中で上司に「プロデューサーになりたいなら毎日企画書を書いて出すぐらいじゃないと無理だよ」と言われたらしく、ならやってやるぞってことで、本当に毎日書いて提出していたらしい(これは聞いた話だけど)。

企画書を書くこと自体でお金になるわけではないので、業務時間外の自分の時間を使って書いていたんじゃないかな。そして出したと言って見てもらえるかさえ不明なそれを、毎日続けたそうだ。すごい精神力…!

その後、社内の企画募集で目に留まり、プロデューサーへの道を進んだそうだ。そして満を持してプロデュースした最初の作品が2005年公開の『電車男』である。

あの作品を知っている人なら、その衝撃のたるや。今までスポットが当たることがかなり少なかった世界観を銀幕にぶち込んだし、これが大ヒットとなった。まあこれについても色々議論はあるのだけど、ここではスルー。

なおそれ以降の作品がこちら。

2006年 スキージャンプ・ペア Road to TORINO 2006(企画・プロデュース)
2006年 サイレン 〜FORBIDDEN SIREN〜(企画)
2006年 ラフ ROUGH(企画)
2006年 7月24日通りのクリスマス(企画)
2007年 そのときは彼によろしく(プロデューサー)
2008年 陰日向に咲く(企画・プロデュース)
2008年 デトロイト・メタル・シティ(企画)
2010年 告白(企画)
2010年 悪人(プロデューサー)
2011年 モテキ(企画・プロデュース)
2012年 宇宙兄弟(企画・プロデュース)
2014年 青天の霹靂(企画・プロデュース)
2014年 寄生獣(プロデューサー)
2015年 寄生獣 完結編(プロデューサー)
2015年 バクマン。(企画・プロデュース)
2016年 怒り(企画・プロデュース)
2016年 何者(企画・プロデュース)
2018年 SUNNY 強い気持ち・強い愛(企画・プロデュース)
2018年 来る(企画・プロデュース)
2020年 ラストレター(企画・プロデュース)
2020年 唐人街探偵 東京MISSION(中国映画、中国公開2021年、プロデュース)
2021年 キャラクター(企画)

アニメ

2011年 friends もののけ島のナキ(企画)
2012年 おおかみこどもの雨と雪(アソシエイトプロデューサー)
2013年 聖☆おにいさん(プロデューサー)
2015年 バケモノの子(プロデューサー)
2016年 君の名は。(企画・プロデュース)
2016年 ムーム(原作・プロデュース)
2017年 打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?(企画・プロデュース)
2018年 未来のミライ(プロデューサー)
2019年 天気の子(企画・プロデュース)
2019年 空の青さを知る人よ(企画・プロデュース)

めっちゃあるな(笑)

なお、小説も書くし、それは映画化されていたりする(世界から猫が消えたなら、億男)。最近ではドラえもんの脚本も手がけている。

マルチすぎる(笑)

この中で「宇宙兄弟」の逸話になるのだが、邦画にしては珍しいことでイギリスの世界的ロックスターである「Coldplay」の楽曲が使用されている。映画の雰囲気にもピッタリで、この曲ありきだなあ、と感じたものだ。

君の名は。のRADもそうだけど、川村さんはこういう音楽の配置がとてもうまい。モテキ、なんかは本当に音楽がバチバチにハマっているので、観たことない人はぜひ。主役の名前もふじもとなので(関係ない)

この「Coldplay」も、どうしても使いたかったそうだが、ツテもないし可能性も少ないので、かなり難しかったそう。どうして使えたかというと、なんとフェスに行って直接話したらしい(笑)※2011年にFUJI ROCKに出てます。

凄い行動力である(笑)

どうして影響を受けたの?

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まあそんな輝かしい経歴を持っている川村さんなのだが、最初に影響を受けたきっかけがある。

というのも、わたしは22歳くらいの頃に当時勤めていた会社(鉄工所)をやめて、好きなことを仕事にしたいと思っていたところだった。

好きなこと、というのは何も「嫌なことをやりたくない」という訳ではなく、少なくとも好きでいられる要素が無いと続けられないということを悟っていたからだ。鉄のことを好きになろうとしても、全然無理だったから鉄工所を辞めた経緯があるので(笑)

ただその時に悩んだのだ。「わたしの好きなことって何だっけ?」と。それまで死ぬように働いてきたし、まあバンドは大好きだったけど仕事にしたい気持ちは無かったので、それを除けば何が好きなのかがマジでわからなかったのだ。

そんな時にフラッと立ち寄った本屋で川村さんのインタビューを見かけた。そこにはこんなことが書いてあった。

好きなことが分からない人は、家計簿をつけるといいですよ。生きていくためのお金以外のお金は、知らず知らずのうちに自分のために使ってるで、支出が大きいところが好きなものの可能性は高いですよ

なるほど、確かに普段お金を使う時、そんなにめちゃくちゃ慎重ではない(当時の私はね)。であれば、無意識にやってるところもあるだろう。そしてその無意識とは、自分が“意識できない分からない部分”なのだな、と。

まあ要するに客観性を持って見てみては?という話である。客観性を得るためには数字が必要だ(広義の意味で客観性とは数字などから得られる統計的事実を見ることです)。

というわけで、家計簿を数か月なんとなく付けてみたら、見事に映画に使っているお金がとびぬけていた(繰り返すけど生活費は除くよ!)。

ああ、わたしは映画が好きなんだ。と、改めて思い、その頃から映画業界で働き始めたのである。

そういう訳で、わたしが映画の世界にやってきたのは、川村さんのおかげなのである。thank you!!!

いや、いつかお会い出来たらほんとに心から感謝したいわ。めっちゃ余談だが、昔勤務先で面倒を見ていたアルバイトのスタッフが、川村さんの直属の部下になったのだが、やっぱりすごすぎる人だと言っていた。

良い映画を、良い企画を作りたいなら、映画だけ観るな。とにかく世の中の面白い、を徹底的に見に行ってこい。

という方針だったらしい(そういう訳でそいつが見に来ていた演劇が、たまたま被ったために久々に会いこの話を聞きました笑

最後に

やっぱ長くなるのね。ああ、そういうもんですよね。

ちなみにわたしは一度だけ川村さんのお話を直接聞いたことがある。講演会に行った時だ。その時に「川村さんにとって映画を作るとはなんですか?」という質問をされており、その答えが印象的だった。

「とある駅のホームのそばに、小さなクマのぬいぐるみがあるとします。そこに確かにあるのに、誰もその存在に気が付かない。ずっと通り過ぎていく。それがある日に無くなった時、人々は“あ、無くなったなあ”と感じたりする。僕はそうなってしまう前に、ここにクマのぬいぐるみがありますよ、ってことを知らせたいんです」

「要はヒトが生きていく上でなんとなく思う気持や、みんなが共通して感じるけれど、いまいち形に出来ないもの。そしてやがて忘れらてしまうこと。そういうものを形にして残していくのが、僕の仕事だと思っています。もちろんそれが外れてしまうこともあるんですけど、当たったときは映画としてもヒットしたりします」

とのこと。

君の名は。では、「ある朝、もしかしたらどこかに自分のことを好きでいてくれる人がいるんじゃないだろうか」という何とも言えない、高揚感みたいなものを、感じたことがある人は多いんじゃないかな?という発想だったらしい。どうやらその思惑は当たったようだった。

わたしも、言葉に出来ないものを、形に変えていきたい。

敬具。

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