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PANDEMONIUM
最新作の予告を解禁しました。
↓HPはこちら↓
https://glutenfreeter.wixsite.com/fujimoto-a/dieater2
撮影しながら考えること
ここはもう首尾一貫といいますか、わたしのスタイルでもあります。
映画を撮影して作りながら、いろんな話を聞く、映画の反応を見る。
そのいわゆるLIVE感をしっかり作品に入れていく。
まあこんなやりかたでドキュメンタリー映画を創ってる人は少ないでしょう。
低予算かつ剛腕ゆえになせることでもありますから(色々無理はしてるけど)
LIVE感のある映像制作スタイルは、もうちょい流行ってもよさそうですけどねえ。映画の内容を現実のアクションと重ねられるし、結構いいと思います(チームでやることを激しくおすすめします…笑)
目指したもの
さて、今回のPANDEMONIUMは前作の"DieAter"で描けなかった細部を撮ろうと思いました。
摂食障害とは何か?というテーマで前作を描きました。
↓前作HP↓
https://glutenfreeter.wixsite.com/fujimoto-a/dieater
自分でいうのもなんですが、非常に色彩にあふれた、摂食障害の様々な形を撮れたと思います。
が、その一方で、それは一枚の絵のようでして。
なんというか、良くも悪くも立体感には欠ける作品でした。
ああ、奥行きが無いというのかなあ。実際、表現したいところを強調すべく、かなりカットしましたから。
何が言いたいかというと、出て頂いた出演者の"摂食障害"の一面は映っているのですが、本人たちの生活?というか生きている姿があまり出せなかった。
ある人は学生で、ある人は会社員で、ある人は主婦で、またある人はフリーターです。ある人は就職に悩み、ある人は家庭に悩み、ある人は会社に悩み、ある人は恋愛に悩みます。
つまり生活がある。
だから次作は生活をテーマにしようと思い、あまり摂食障害の質問をしなかったんです。(まあ結果めちゃくちゃ編集が難しくなったけど…爆)
その結果、より現実的な姿を映し出すことが出来ました。
またそれは、わたしと演者との関係性で生まれたものもあるし(前作から引き続き出ている人もいるし)
前作を見たうえで出たいという方もいたし、そういう経緯もあってより層の深いところに足を運んだような気がします。
摂食障害について考える
僕自身、映画を通じてさらに摂食障害についての知見を深めました。
いろんな活動をしながら、いろんな話を聞いた。何度も常識を疑いながら、原因を考えたりした。
しかし答えを出すことはわたしの課題ではないため、決して縛られず、ありのままを映すことに徹しました。
その結果、前作で少し見えていた"ナニカ"の存在に気が付きました。まあそれをどこかで感じつつ副題に「PANDEMONIUM」と付けたのだけれど。
「PANDEMONIUM」は"悪魔の住む家"という意味です。
ここは否定しておきたいのですが、当事者の方が悪魔という意味ではありませんよ!
誰もみな、悪魔の住む家には行きたくないですよね。そのことからPANDEMONIUMは"立ち入ることのできない場所"というような例えとして使います。
今回はまさにそのような映画になりました。
誰もが立ち入ってこなかった、摂食障害の現実にかなり踏み込んだ作品になっています。当事者たちは、誰にも言えない悩みを抱えていたり、症状を決して見せないようにします。(僕もすべてを見させてもらい聞かせてもらってるわけではないでしょうし)
そして今回この映画は、考えさせられる意味を持ちました。
なぜそこは"PANDEMONIUM"と化したのか
この"PANDEMONIUM"は本当に立ち入り禁止の場所だったのか?という疑問です。
触るな危険と誰も飛び込まないようにしていたのは、果たしてどちらの意識なのでしょう。
見せないようにする当事者の意識?
見ないようにする非当事者の意識?
あるいはその両方…?
当事者の話を聞いているうち、目をそらしているのは我々の方だったのかもしれないと気づきました。
少なくとも私は、そう思っています。
昔話をします。それは3年ほど前のことです。
インスタグラムでダイエットの情報を発信していました(当時の監督はそんなことやってた)。
そこでいろんなアカウントの方とも繋がっていきます(ダイエッターアカウントってやつですね)。
ある日、少し奇妙なダイエットアカウントを発見します。
どうも普通のダイエットではないな、これはと。
それが少女Aとの出会いでした。
最初はよく分からなかったのですが、ハッシュタグに「#摂食障害」の文字が。タグを頼りに、その世界に初めて足を踏み込みました。その世界は殆ど異世界でした。
その当時も、摂食障害、知らないわけではなかったんです。
テレビで見たこともある。本で読んだことだってあった。過食嘔吐でさえ。
が、注意深く見たことが、なかった。
だからそれは記憶のどこかにしまわれていたんですよね。知らないうちに。
人は見たいものだけど見て、見たくないものからは目を背ける。
たとえそれが、手を差し伸べるべき事態だと、わかっていたとしても。
だからわたしも、目を逸らした。
これは手に負える世界じゃない。自分が携わっていい所ではない。
ホントにそんな感じでした。
が、そこからですね。なんかねえ、ほんとなんでか分からないけど、ちゃんと向き合わないとだろーって。
そんな感じになって。いやもうこれ説明できないんだけどね、理由とか。
まあもしかしたら、自分の中に眠っている"ナニカ"が反応したのかもしれない。それは、正直分からない。
だから最初はとにかく手あたり次第にインスタグラムアカウントをフォローした。当事者の子の。コメントをした、メッセを送った。会った。話した。
勉強もした。いろんなものを見るように心掛けた。
もっと理解を深めるために、映画にしようと思った。
そういう、動機もあった。そこは今まで目を逸らしていた世界だった。
それこそが「PANDEMONIUM」の正体
間違いなくそこにあるのに、目を逸らしているのは我々なんだ。
誰でもなる病気なのに、無関心になってしまう。
こんなに近くにいるのに、気が付けないでいる。
何もできないからと、最初から決めている。
そんな風に僕は考えるようになりました。
ちなみに少女Aさんは、次回作に出ます。
あの時目を逸らしけれど、今はちゃんと向き合うよ。
そして、もう一つ気づいたことが。
当事者も、自分の症状から目を逸らしているのか、目を向けれないのか、そういう節がある。
これはアディクション(依存症も)全般に言われることなんですけどね。
きつい現実から目を逸らすために、アディクションに走ると言われている。
それはまさに、その人本人の「PANDEMONIUM」であり、同時に我々が見るべき「PANDEMONIUM」でもあるんですよね。やっぱり人の心の中に、世界がある。そう感じている。
いま目を背けてはいけないと、思うんだよね。
その扉を、開かなければ。開き続けなければ。今はそういう気持ちで映画に向き合っています、はい。
あなたが深淵を長く覗いているとき、深淵もまたおまえを覗いている。
フリードリヒ・ニーチェ
これがニーチェが残した言葉です。
時にこの言葉…
危ないものを見ているときは、向こうもこちらを見ているから飲み込まれないようにね。
という解釈をされるんですけど、そうではなく、この深淵とは、どうやらニーチェ自身の心の闇だそうです。
自らの心の闇に触れ続けていると、やがて戻れなくなるという意味。
ニーチェでさえ、自分の心の闇に長く向き合うことは、出来なかった。
いや、おそらく多くの人が、見ないようにしている。摂食障害に限った話じゃあないんだよね。むしろ目を背けるのが得意なのかそうでないか、かもしれない。
そうして見ずに積み重ねてきた人の心の闇は、今まさに「PANDEMONIUM」として築かれている。
我々に、この深淵を覗くことは出来るのだろうかね…?
多分一人じゃ無理だ。みんな一人じゃ抱えきれないでいる。
だから、映画なんだよね。