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未来は変えることができるし、過去も変えることができる。

そうか。あれからもう5年経つのか。

友人の投稿を見て思い出した。尼崎・塚口の商業ビル「塚口さんさんタウン3番館」の一角に「amare(あまり)」というスペースをオープンさせたのが、2015年8月1日だった。

ぼくは、その2ヶ月後に当時勤めていたNPOを退職し、個人で仕事をスタートさせた。25歳だった。スキルや経験なんてほとんどなかったけど、それでも力を貸してくれる人がいたり、仕事をお願いしてくださる人がいたりした。

この時期は、自分にとって大きなターニングポイントだったと思う。でもそれは、あとになってみないとわからないことでもあった。なぜならやっている瞬間は「今の連続」でしかなくて、少しずつ変化していくその「今の色合い」がどの程度変わっているのかを俯瞰して眺めることはほとんどできなかったからだ。

「あのときがターニングポイントだった」とか「あの時代は過渡期だった」とか、そんなふうに言うことがある。でもそれは結局、現在から見える過去を勝手に解釈しているだけに過ぎない。過去の色合いは、見るときの状況や自分自身の状態、現在の価値観やどれだけ時間が経っているかなどに大きく左右される。

過去は変えられるんだ、とぼくは思っている。圧倒的に過去は塗り替えることができるものなんだ、と。楽しかったことも、苦しかったことも、うれしかったことも、悲しかったことも。それらは全部、再解釈が可能なんだ。ネガティブな経験が、ぼくにこの哲学を宿らせた。

ぼくは、深夜になんの話をしたいのだろう。

過去に囚われるのも人生だし、過去を昇華させるのも人生で。未来に不安を覚えるのも人生だし、未来をつくりあげていくのも人生で。すべては混沌としながら、自分の中に確かに存在しているものなんじゃないかなと思う。

これまでの積み上げや積み崩しが自分のこれからの人生にとってどんな意味があるのかはまだわからない。これまで積み上げてきた経験の先になんとなく想定される将来を歩んでいるかもしれないし、まったくもって理解や想像の範疇から逸脱した人生を送っているかもしれない。

けれども、なんとなく今、どう生きるべきか、自分がどう生きたいのか、少し潜って考えるタイミングに来ているような気もする。未来の自分が意味づけをするターニングポイントが今なのかもしれない、そんな気もしている。

未来はわからない。だから、未来は変えることができる。つくっていくことができる。でも、過去もつくることができる。事実を変えることはできないけれど、意味づけを、その色合いを変えることはできる。そう信じたい。

ぼくも30歳になった。今、なにができているんだろうか。どうあれているんだろうか。どんな姿を見せられているんだろうか。自分自身に嘘はないだろうか。そんなことを問う。

深夜に。悶々と。

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藤本 遼|株式会社ここにある代表取締役|場を編む人
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