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目的と手段の位置関係を確認する

7月19日の日経新聞で、「学校を「スロー」な学びの場に」というタイトルの記事が掲載されました。本質的な学びを促す環境について考える示唆的な内容で、個人的にも興味を持ちました。

同記事の一部を抜粋してみます。

私(Slow Innovation代表 野村恭彦氏)は高校で「ファシリテーション(環境づくり)」の授業をしたことがある。高校生の興味を引き出すために、授業は「学校の嫌なところ」を聴き合うところから始めた。「校則がウザい」とある生徒が言った。それを「前向きな問い」に変換することを考えてもらう。前向きな問いとは、アイデアを出した際に、「自分自身が解決者になり得る」問いだ。生徒たちは、その場で「どうしたら先生が校則をゆるくしたくなるだろうか?」という問いを生み出した。

この問いに対してアイデア出しをしてもらい、生徒たちで選んだベスト3のアイデアが、「問題を起こさない」「マナーを守る」「テストの平均点を上げる」だった。先生が校則をゆるくできないのは、自分たちが問題を起こしたり、マナーを守らなかったり、テストの平均点が低いからだと自ら考えたわけだ。

しかし、生徒たちが「学校は自分たちで変えられる」という高揚感にあふれたところで、最後に、この授業を見学していた先生からこんなコメントがあった。「みなさん、いつもの授業もこのくらい一生懸命やってくださいね」

私は先生から「みんなのアイデア、ぜんぶ一緒に実現していこう!」というコメントを期待していたので驚いた。今の学校の授業は、より良い「次」を勝ち取るための手段になっているのだ。良い会社に入るために良い大学に行き、良い大学に行くために良い高校に行き、良い高校に行くために良い中学に行くといった具合だ。

こういった「目的に向かって最短コースをとる」ことは「ファスト」なアプローチだ。その逆の「スロー」なアプローチは「自分の心の声を聴き、ほかの人たちの声を聴き、ほんとうに大切だと思うことに取り組む」ことである。

同記事からは、3つのことを考えました。ひとつは、目的の共有の大切さです。

校則は、意味もなく存在しているわけではないと思います。必ず何かしらの目的があって存在しているルールです。「校則がウザい」と言うのは、「なぜこんなルールが存在する必要があるのか、目的が理解できない」という背景があるからだと想定されます。

もちろん、未成年者の学生に対しては、相手の納得感が得られなくても、「社会通念上必要だから四の五の言わずにこの通りにしなさい」といって、言うことを聞いてもらうべき内容もあると思います。そのうえで、仮に理解が得られないとしても、目的を説明する過程が大切であることは変わらないと思います。同校がそうした過程を省いているのかあるいは相応に取り組んでいるのかはわかりませんが、往々にして前者である場合が見られるものです。

加えて、同記事中の教師について、ファシリテーションの授業の目的、なぜその授業を行い、その授業によってどんな効果を生み出したいのかが腹落ちできていなかったことが想定されます。学校の方針でファシリテーション授業を専門家に依頼したものの、学級担任教師はその目的を認識していなかったのか何なのかわかりませんが、いずれにしても目的の共有がなされてなかったと言えそうです。

関わる人全員が目的を共有できているというのは、組織の成立要件として必須のアイテムです。それなしに、組織活動がうまくいくことはありません。

2つ目は、目的と手段の位置関係を的確にとらえることです。

校則であれば、その校則自体が本当に必要なのか、考えたいところです。例えば、「学業に集中する」「他者に配慮し合いながら気持ちの良い学校生活を送れるようにする」などが得たい本来の目的のはずで、校則は目的ではなくその手段のはずです。

例えば「男子生徒は丸刈り」といった校則が是か非かといった論争も時々聞きますが、目的を達成するために不可欠あるいは有力な手段、代替な手段がなかなかない、などと考えられるなら、有効な校則とみなすことができます。逆に、目的達成のために別の手段があるなら、必ずしも従来の手段にこだわる必要はないと言えます。

もしその手段がなくなっても目的達成のしやすさに何の影響もなさそうなら、その手段は必要ないということになります。また、別の手段や、同じ校則という手段でも別の内容で目的が達成できるのであれば、従来の手段に縛られる必要はありません。もっと全員がコミットできる的確な手段が見つかったならば、手段を変えればよい話です。

3つ目は、「いつもの授業もこのくらい一生懸命やって」もらえる余地はないだろうかということです。

もちろん、学校での学びの活動すべてにおいて、同記事のような、問いを立てて自分たちの解を導き出していく、というやり方にできるわけでもないと思います。未成年者の学生がどうしても興味を持ちづらい知識だが、社会生活上ひたすらインプットしてもらうしかない、といった領域もあると思います。

そのうえで、いつもの授業もやり方を変えることで、高揚感を伴いながら学べる場になるよう工夫できる余地が、あるかもしれないと思います。

そして、上記3つは学校組織ではなく企業組織に置き換えて考えても、まったく同じことが当てはまります。

・その企業の方針やルールの目的を説明し、共有する
・目的と手段の位置関係を整理し、目的達成のためのもっと良い手段があれば変える
・役割や作業にもっと意欲的に取り組めるよう、指導のやり方や環境設定を工夫する

もちろん、企業組織の場合、構成メンバーは(対象とするテーマや物事によりますが)一定の判断力があるとみなしてよい人材なわけですので、メンバーに学生以上の自助努力が求められるのは言うまでもありません。

<まとめ>
目的と手段の位置関係は、合っているか。

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