終末論を超えて
8月28日の日経新聞で、フィナンシャルタイムズの記事「温暖化、終末論に潜む危険」が紹介されました。今年の夏も暑かったです(まだ完全には過ぎ去ってませんが)。今回の夏の暑さが異常気象の一端ではないかと感じてしまいますが、そのことについて考察している内容です。
同記事の一部を抜粋してみます。
夏の終わりに、猛暑と言われるこの夏を総括するにあたって、示唆的な考察ではないかと考えます。上記の示唆から、自分なりにポイントと考えることを3つ挙げてみます。ひとつは、事実と、推察や感情とを、分けることの大切さです。
終末論的な物事の捉え方は今に始まったわけではなく、昔から存在します。例えば、古くは末法思想(まっぽうしそう)と呼ばれたものがあります。ウィキペディアでは次のように説明されています。(一部抜粋)
参考サイト等を参照すると、本来の末法思想が示唆する本質は、単なる終末論とは異なるようですが、極端な捉え方をして行き過ぎると「どうせ世の中は終わるのだから、どうしようもない」という思考停止の自暴自棄に走りかねません。これは、正しくないはずです。
ピンチにおちいった状況で、一か八か、うまくいけば一発逆転、うまくいかなければ破滅、こうなったら危険度MAXながらも一発逆転できる可能性がある方法に賭けてみよう、という極端な選択をしたくなる心理も、このことに通じます。
私たちは、生物として命を守っていくことを最優先しようとするDNAから、ポジティブな情報よりネガティブな情報に敏感に反応することが知られています。まずは、こうした終末論的な発想になりやすい性質を私たちが持っているということを、認識しておくことが必要だと思います。
そのうえで、同記事が指摘するように、ネガティブな情報が事実に基づいたものなのか、事実以外の悲観的な憶測に基づくものなのかを見極めて、冷静に評価することが大切だと思います。
2つ目は、自分の課題と自分以外の課題との切り分けです。
先日の投稿でも取り上げましたが、そのテーマが、自分が直接何か影響を及ぼすことのできる自分の課題なのか、自分が直接は何も影響を及ぼすことのできない自分以外の課題なのかを分けることが大切です。
例えばエルニーニョ現象による気温の上昇は、自分以外の課題です。一方で、例えば二酸化炭素排出量の実質ゼロにつながる身の周りの節電行動は自分の課題だと言えます。自分以外の課題に振り回されると何も行動できなくなります。両者を分けて、自分の課題に集中する姿勢が大切になります。
3つ目は、上記2つの視点に沿って自分なりの思考力を働かせた上で、自分の課題に取り組むことです。身の周りの節電行動でできることは何かを見つけて、取り組めばよいというわけです。
これと同じ事象は、私たちが所属している職場でも指摘できます。
「どうせ自分が何か頑張ったところで、組織全体が変わりようがない」「自分の身を置く職種はいずれAIに取って代わられる運命」など終末論的な結論を自分の中で出してしまい、思考停止・行動停止になることがあります。
無自覚だと終末論思想に引っ張られやすいものと認識する、事実と事実以外とで情報を分別する、事実情報に基づく自分の課題に集中する。仕事や生活の場面で持ち合わせておきたい視点だと思います。
<まとめ>
私たちは、無自覚だと終末論思想に引っ張られやすい生き物である。