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「気」について考える(2)
前回は、私が定期的に参加している学びの場「知心会」の1月定例講で出てきた「気」のテーマについて考えました。
前回、「気=情熱」と捉えて、「燃焼の3要素」に見立てて考えました。意義のある仕事という可燃物や、酸素に当たる就業環境・周囲からのサポートといった支燃物があっても、着火源である情熱がなければ発火しない、ということでした。
定例講では、「三毒」「貪瞋癡」(とんじんち)という仏教用語についても紹介がありました。「毘沙門天 やすらか庵」のサイトを参照すると、「三毒」「貪瞋癡」について次の通り説明されています。(一部抜粋)
三毒とは仏教に於いて人間が克服すべき根本的な煩悩のことで貪瞋痴(とんじんち)の三つを言い、正しい心を壊してしまって悪に堕ちてしまうので「毒」という言い方をしています。
貪瞋痴について
「貪」は貪(むさぼ)りの心で人よりもたくさん欲しい、人の物でも欲しいという気持ちのことで、欲しいという気持ちに支配されて人を傷つけても気が付かない程になってしまいます。
「瞋」は怒(いか)りの心で、絶対に許せない、仕返しをしてやるという気持ちのことで、怒りの気持ちに支配されて、他人に対して攻撃的になってしまい、小さなことでは喧嘩に、大きいことでは戦争になってしまいます。
「痴」は無智のこと、真実を知らない心、真実を知ろうとしない心で、いい加減な情報や嘘、デマなどの情報に振り回されて正しい判断が出来ない状態のことです。
定例講では、「三毒がもとになっている情熱は続かない。いずれ破綻する」というお話がありました。
例えば、仕事や起業の熱源が、「世の中から財を集めて成り上りたい」「成功者と言われて、自分を見下してきた者どもを見返してやりたい」などになっている場合、ある程度財を成したり多少の成功をして「勝った」などと思ったりした時点で、熱源はその目的を終えてしまいます。火はついえてしまい、続かなるというわけです。
デマにあおられて、自分でよく判断せずに勢いのまま何かの運動に参加して没頭したとしても、別の情報に触れて「もしかしたらこれは実は違うのかも」と感じた途端に、続かなくなります。
定例講では、「三毒を三徳に変えていく」というお話がありました。物事の熱源となる気=情熱を持ち続けて成果を出しながら取り組み続けるには、三毒ではなく三徳をもとにしよう、というわけです。
コトバンクでは、三徳について次の通り説明されています。(一部抜粋)
仏果にそなわる三つの徳。衆生を救いたいという願いによってめぐみを与える恩徳と、一切の煩悩を断ち切る断徳と、平等智によって一切を見通す智徳の三つ。
上記で「三毒は人間が克服すべき根本的な煩悩のこと」とありますので、一切の煩悩を断ち切る断徳とは、まさにこの三毒から離れることだと解釈できそうです。
恩徳は、世のため人のため、社会に貢献するという思い。智徳は、自分の「無知の知」を認識し、固定観念なく様々な物事の本質を見ることができる知識・考え方を身につけていこうとする姿勢。そのような感じでしょうか。(私なりの解釈です)
定例講でのお話も手がかりに、三毒から離れて三得に近づくための行動を、大きく2つ考えてみます。ひとつは、自分と丁寧に向き合うことです。
自分自身と対話しながら、何に気=情熱を見出すのか、人生の目的の解像度を高める努力を続ける。解像度が高ければ高いほど、判断に迷わなくなるはずです。判断して何かに取り組んだ結果が間違っていたとしても、間違ったということに気付いておおもとに立ち戻ることができます。おおもとが明確になっていなければ、立ち戻ることもできません。
もうひとつは、人と会うことです。
自分の殻・世界の中に閉じこもって貪瞋癡で生きていると、無知のままになっていきます。人とかかわり対話していくことで、自分が貪瞋癡に陥っていることに気付き、三徳が磨かれていくはずです。
そのうえで、完ぺきな人はいません。物事を進めるにあたっての当初は、気=情熱が自分の中で明確にはできていない、貪瞋癡まがいからのスタート、などもありなのではないかと、個人的には思います。
「自分にとってベストな道なのかどうかなんとも言えないが、他から内定が出なかったのでこの企業に就職することにした」「なんでもいいから一旗揚げたいと思って、ビジネスを始めた」といったような動機から物事が始まるのも、よくある話だと思います。
大切なのは、始めた後に、その仕事や取り組んでいることへの向き合い方を、三毒から三徳へ、その人なりに変えていくことではないかと思います。最初はお金目的で始めたが、仕事の目的を途中からお金ではなく社会貢献と紐づけた。これも聞くことのある話です。
「多くの人は、貪瞋癡でそこそこ成功して、満足してやめる」
定例講で聞いた言葉です。
三得に変えれば長続きしますが、三毒のままだと長続きしないというわけです。
・自分と対話する
・人と対話する
・そうした過程を通して、自分なりの気=情熱を確かなものにしていく
2025年ももう1か月が過ぎようとしていますが、改めて今年の行動に反映してみたいと思います。
<まとめ>
三毒から離れ、三徳を目指す。