「要物必与」で考える
先日、経営者や経営幹部の方などが集まる勉強会に参加する機会がありました。その機会に、「要物必与」の考え方と「相手に惜しげなく提供する」ことの大切さが話題になりました。
「要物必与」とは、必要なものはそれを必要とするときに、ちょうどいい形で与えられるという考え方です。それは、目に見える物だけではなくて、チャンスやピンチとの出合い、人との出会いも含まれます。
ある経営者様が最近身のまわりで起こったピンチ、それに対してちょうど最近知り合った人や機関の力を借りて乗り切ったというエピソードを交えながら、紹介された言葉が要物必与でした。
出合ったことが困難や苦労という事実は、変わりません。そのうえで、「お手上げ」と思うか「自分に今必要だから与えられた」と思うか。捉え方を変えれば、その出来事への向き合い方もその後の行動も変わってきます。
加えて、そのとき出合った、手にとったもの、身の周りにあるものを、積極的に使っていく。出会った相手に対して惜しげなく提供していくことが大切なのではないか、という話になりました。その話の流れで、わらしべ長者の話が出てきました。
わらしべ長者の話はいくつかバリエーションがあるようなのですが、その中から「観音祈願型」の話についてウィキペディアから引用してみます。
交換していった物は、藁しべ→アブが結び付けられた藁しべ、蜜柑、反物、馬、屋敷、となります。
わらしべ長者の素晴らしい点は、手にとったものを惜しげなくいろいろな人に渡していったことだと、参加者の間で話題になったわけです。
持っているものをただ大切に持ち続けてもそれが発展していかない。別に社会から見返りを期待するわけではなく、純粋に目の前の相手に持ちうるものを提供していく。そういう積み重ねが、結果的に人生のバランスシートを大きくしていく。わらしべ長者の話の本質は、そのことにあるのではないかというわけです。
「要物必与」の考え方と「相手に惜しげなく提供する」
普段の行動に取り入れたい視点だと思った次第です。
<まとめ>
必要なものはそれを必要とするときに、ちょうどいい形で与えられる。
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