しばらく前に知った言葉ですが、「マルハラ」という新種のハラスメントが認知されているようです。文末を「。」で終わることがハラスメントの一種であるというものです。
生成AIのCopilotに、「マルハラ」の定義について説明してもらいました。以下です。
文末に「。」をつけることが、文を区切る目印となる以上の、特別な意味づけを与えてしまうのだそうです。
2月2日のヤフーニュース記事「LINEで句点「。」は誤解を招く… “マルハラスメント”とは? 若者世代「冷たい、怒ってる、冷めてる、もう会話が終了という意図なのかなと」(『ABEMA的ニュースショー』より)」では、次のように紹介されています。
文末を「。」で終える書き方をするのは、ハラスメントの範疇に入るのでしょうか。
セクハラ、マタハラ、ケアハラなどにはどう考えても当たらないはずなので、当たるとしたらパワハラなのかなと考えてみました。
ニッセイビジネスインサイト記事「これってハラスメント? 定義・具体例・必要な防止対策を知ろう」(2021-03-24)で、ハラスメントに当たるかどうかの「グレーゾーン」がどこにあるのかについて分かりやすい説明がありました。(一部抜粋)
上記も参照すると、文末を「。」で終えることは、日本語の運用上の観点からも、他者とのコミュニケーションの観点からも、社会通念上相当の範囲を逸脱しているとは考えられません。「ハラスメント」と呼ぶにふさわしいかは疑わしい気がします。
前回、ストレスマネジメントをテーマにし、変えることのできる「自分の課題」に集中することの重要性を取り上げました。感情、生理反応、他人といったものは変えることはできないが、自分の思考や行為は変えることができるという視点です。
「。」で終わる文末に不安や恐怖を感じるとしたら、それは感情や生理反応によるものですので、直接変えることは難しいかもしれません。また、「。」で終わる文を作成して送ってくるのは、自分ではなく相手です。
社会通念上の許容範囲を逸脱したコミュニケーションスタイルをとってくる相手に対しては、管理者や経営陣の責任で是正させる義務があります。一方で、社会通念上の許容範囲内のコミュニケーションスタイルで連絡を取ってくる相手については、それは基本的に当てはまらないと言えます。よって、相手が変わってくれることを期待するのは、明日の天気が晴れになってくることを期待するのと同じく、「自分の課題」ではなく「自分以外の課題」ということになります。
ゴールの見通しがない自分以外の課題で悩むのは、ストレスマネジメント上あまり有益ではないと言えます。
それでは、「。」で終わる文末に不安や恐怖を感じる人はどのようにすればよいのでしょうか。決まったひとつの正解はありませんが、「自分の課題」としてできることがあれば取り組む、ということが基本線になると思います。例えば下記です。
・「。」で終える相手に対して、実際に怒っているのかどうか聞いてみて、相手の背景を確認する。
・「。」で終える相手に対して、「。」で終えることに不安や恐怖を感じるので、できれば別の終わり方ができないか、と相談してみる。
・上記などを、普段の就業時間中にはやりにくい場合、その相手と1on1ミーティングなどが設定されている職場ならそうした機会に聞いてみる。
やはり、「自分の課題」を見つけて自分なりに取り組むことが、対応方法の基本になると考えます。
冒頭の記事のような情報を察知した送り手側から、歩み寄ってももちろんよいわけですが。
<まとめ>
「。」で終える文を受け取ったとして、それも相手のコミュニケーションスタイルの一環。