東南アジアのライドシェアから考える
10月22日の日経新聞で、「ライドシェアにみる日本の落日 部分最適優先、成長阻む」というタイトルの記事が掲載されました。東南アジアでライドシェアが社会インフラとして浸透する中、日本では浸透していかない現状を紹介しています。
同記事の一部を抜粋してみます。
インドネシア駐在を終えて3年半ぶりに日本で暮らすとタクシーの不便さを実感する。路上で空車を探す、運転手に住所を伝えカーナビに打ち込んでもらう、降車時に料金を支払う。
インドネシアを含む東南アジアでは一般ドライバーが乗客を運ぶ「ライドシェア」が定着している。携帯電話の操作一つで目的地までたどりつける配車アプリを使えば、こうした手間はすべて省略できる。
東南アジア諸国連合(ASEAN)域内で使えるシンガポールの「グラブ」アプリを出張時に重宝した。ライドシェアに慣れた外国人観光客が日本に来ると言語の壁も重なり筆者以上に支障を感じるだろう。
東南アジアの例は参考になる。10年ほど前にライドシェアの導入が始まった当時は技能やサービスの質が悪い運転手が多く、乗客とのトラブルが相次いだ。
グラブやインドネシアのゴジェックなど配車アプリ大手は運転手の研修・評価システムや事故時の補償制度を整えた。インドネシアは苦情受付の電話番号を車内の見やすい場所に記載するよう求めるなど細かな規制で改善させた。
「ライドシェアはタクシーよりリスクが高い」という声は現地でもうほとんど聞かなくなった。
日本はデジタルに不慣れな高齢者の割合が大きいなど東南アジアとは環境が異なる部分はある。そうした違いを踏まえつつ、成功例を基に社会の実情に合うサービスを模索するのがドライバー不足に直面する日本の現実的な道ではないか。
これはオンライン診療にもあてはまる。インドネシアでは軽い風邪ならオンライン診療サービスを活用する。医者を選び、チャットで病状を伝え、薬を処方してもらう。アプリは薬局や宅配事業者とも提携しており、ジャカルタ中心部なら30分で薬が自宅に届く。
重要なのは消費者が選択肢を持つことだ。タクシーとライドシェア、対面診療とオンライン。日本では消費者が広い選択肢の中から自らの責任で選べる環境が整わず、サービスを実感する機会さえ限られる。
部分最適を優先すると新陳代謝は進まず、生産性は上がらない。人口減少に直面する日本にその余裕はない。もっと全体最適を追求すべきだ。
日本は2030年までに国内総生産(GDP)でASEANに追い抜かれるとの見方がある。インドネシアからライドシェアのない日本に戻ったばかりの身には、どちらが先進国かわからなくなるときがある。
私はインドネシアに行ったことがまだありませんが、ベトナムやタイなど他の東南アジアの国には何度も渡航経験があります。そこから類推すると、上記のインドネシアの状況は想像がつきます。導入期のライドシェアや、それ以前から存在していたバイクタクシーなどはトラブルが多くて評判が悪く、「リスクが高いため、地元の人は使うのを避ける」と聞いたものでした。
それが、「ライドシェアはリスクが高いという声は現地でもうほとんど聞かなくなった」というのを見て、たいへんな変化だと改めて感じます。
同記事を参照すると、環境変化はライドシェアの領域だけではないようです。「日本はデジタルに不慣れな高齢者の割合が大きいなど東南アジアとは環境が異なる部分はある」とは、日本は東南アジアより高齢者がデジタル化に適応していないことを意味しています。オンライン診療も東南アジアのほうが進んでいるということです。
しかし、これらの動きは東南アジア特有のことではありません。世界的な傾向です。つまりは、日本国内だけを見ていると、身の回りのデジタル化、社会インフラの変化のスピードが巡航速度に思えてきますが、世界標準を大きく下回っている変化スピードだという可能性があります。
10月26日の日経新聞記事「ウーバー拒んだ国の行方」からも一部抜粋してみます。
シェアリングエコノミー協会の上田祐司代表理事が言う。「本来あるべき社会の姿と法律の間にギャップがあるとき、諸外国は法律を変えようとなるが、日本は違法=悪い。法律を変える流れにならない」。そういう国民文化を変えることこそ肝心だと訴える。
そこそこ便利な国、という意識のせいか。日本はよりよい環境を追う意欲が弱く、社会の「現状維持力」が妙に強いのではないか。
このことは、法律の領域以外にも当てはまることではないかと思われます。例えば、「本来あるべき会社や学校の姿と方針や規則の間にギャップがあるとき、日本は方針や規則を見直す流れにならない」ということです。
組織の最高意志決定者が決めた方針には、自分が異なる意見を持っていたとしても、メンバーとしてそれを守り方針実現のために取り組んでいくことが必要です。
そのうえで、その方針は未来永劫維持されるべきものというわけではありません。その意志決定が適切でなかったと後に判断された場合や、その時点では適切な意志決定だったもののその後の環境変化によって有効ではなくなった、などの場合もあり得ます。そのような場合に、環境に対して無効となった方針を後生大事に維持しても意味がありません。ギャップを維持してしまうだけです。
現状を維持したいという欲求は、身を守るためでもあります。しかしながら、現状維持が蓄積すると環境変化に適応できなくなり身の危険に変わってしまうということを改めて認識するべき。同記事からはそのように感じます。
身の回りで起こっている、同記事と同様のことを見逃していないか、振り返ってみたいと思います。
<まとめ>
あるべき姿と現状の間にギャップがあるときは、現状を変えるべき。