時間コストを意識した意思決定
2月16日の日経新聞で、「政策に「時間コスト」の意識を」という記事が掲載されました。
同記事を一部抜粋してみます。
~~政策形成への専門家の関与について、政策決定に専門家がかかわることが問題を生み出すこともある。専門家が分析に時間をかけることはプロとして当然だが、政治家は専門家の分析結果を待つことの「時間コスト」を政治判断するべきである。ところが、現在の日本の感染症対策では、政策実施のタイミングまで専門家の判断待ちが当然視される空気がある。
「社会全体のリスク最小化」は、感染症専門家が責任を持てる話ではない。専門家は、分析結果の「誤り」を最小化しようとするものである。時間をかけてデータを集めればそれだけ「誤り」の可能性を最小化できるので、様子見を好むのは当たり前だ。
一方、政治指導者の目的は、分析の誤りの最小化ではなく、社会の被害を最小化する危機管理である。危機時には、政策的アクションについて様子見をする潜在的コストは平時よりも格段に大きくなる。政策的アクションのタイミングを、専門家のボトムアップのコンセンサス(合意)に依存する現在の政策決定システムは、危機管理の方法として問題である。
専門家は、その時点で分かっているベストな科学的知見を政治指導者に提供するのが役割であって、政策内容やタイミングを決めるのは、常に政治指導者であるべきだ。
未知のウイルスとの闘いにおいて、政策に間違いが起きるのは当たり前であり、政府は試行錯誤を繰り返すことで政策を進化させるべきである。国民の側も、朝令暮改は政策進化の証拠として歓迎すべきではないだろうか。~~
上記記事の「専門家」を企業組織内の各職務専任者・担当者、エンジニア、部門責任者、各領域の外部人材に置き換えてみます。政治指導者を経営者やそれに準じる経営幹部に置き換えてみます。すると、この状況は企業経営でも全く同じことが言えるでしょう。つまりは、下記の2つの視点です。
・経営者は各分野の専門家ではなく、政策決定者であるべき。
経営者が自社の事業活動の各分野で最も詳しい専門家とは限りません。むしろ、複数の事業に取り組んでいたり多角経営を目指していたりする企業では、経営者以上に各領域に詳しい人材の力を借りながら事業運営していることが通常でしょう。経営全体のリスク最小化に専門家は責任を持てない。責任を持てるのは経営者であるということです。
専門家は、十分なエビデンス(証拠・裏付け)が得られないことについては判断できず、様子見を好むわけです。経営全体のリスク最小化の観点から意思決定し、施策実行の旗を振れるのは経営者しかありません。意見はボトムアップで集めつつも、最終的な判断はトップダウンで行う。施策に間違いが起きる可能性は前提とし、試行錯誤を繰り返すことで経営を進化させるべき。社員の側も、朝令暮改は経営進化の証拠として歓迎すべき、そのような社員のマインドをつくっていく。これらのことが経営に求められるでしょう。
・時間コストを考慮した意思決定を行うべきである。
以前本コラムでも触れたことがありますが、私はよく、経営・マネジメントにおいてのスピードの重要性について、物理の法則(物体の運動エネルギーの算出方法)に沿ってイメージします。すなわち下記です。
仕事の成果=質量×速さの二乗
質量とは施策や取り組むことの中身で、速さは検討・着手・実行のスピードです。速さは二乗です。経営では、「こうやればかならず成功する100%の正解や解決策」はありません。最終的にはやってみなければ分からない、答えのないことの実践の繰り返しです。
仮に質量の上限が10点満点だとして、秀逸に検討され、成功の確度が相当に高い企画でも9点がせいぜいでしょう(最大9点というのに根拠はないが、イメージとして)。しかし、意思決定までの検討のスピードが遅く2点しかなければ、その取り組みは9×2×2=36点の力にしかなりません。他方、企画内容が6点程度の完成度でも、速さが1.5倍であれば、6×3×3=54点となり、こちらの方が大きな力を持ちえるわけです。
もちろん、企画内容が2点や3点で話になりません。しかし、どんなに時間をかけても10点は取りようがないのだから、ある程度の及第点の中身だと判断されれば、すぐ実行に移したほうがよい、ということです。
ボトムアップの合意を過度に重視し、意思決定の時機(タイミング)が後ろ倒しになる、あるいは逃すことは、経営のリスクを助長させてしまうことにつながります。専門家からの示唆に十分な聴く耳を持ちながらも、最後は独裁で経営判断する。これが、企業経営の基本的なスタンスであるべきでしょう。
<まとめ>
知見を提供するのは専門家、意思決定の内容とタイミングを決めるのは経営者。