私の中にはずっと作りたいものがある
私の中にはいつも作りたいものの完成形があります。それを完成させるためには色んなスキルが必要で、毎回そのスキルをかき集めながら完成形を目指しています。
道具があるから作っているのではなく、作りたいものがあるから道具を探しているんです。私に隙間がないと言われるのはこれが要因だと思います。
ずーーーーーーーっと逆だと思ってたアアアアアアアアアアアアア!!!!!
取り乱しました。
最近はだいぶ道具が揃ったおかげである程度自己完結できるようになり、私の中にある作りたいものに少し近づいている感覚があります。絵を一人で描いて、音楽を一人で作って、確かに近づく理想の形。
同時に、自己完結してしまうことに物凄い罪悪感を抱いていました。なんとなく"一人で作るのは良くない"ような気がしていたんです。一人への不安。孤独への寂しさ。それらは"一人で作るのは良くない"気持ちを大きくさせていきます。
自分の中から出てくる得体の知れないものに蓋をして、それでも混ざり合えない息苦しさと、表現したい世界観から逸脱している違和感の狭間で、どうすればいいのかだんだんと分からなくなっていきました。一層のこと手放してしまった方が楽なのかもしれない、なんて。
そんな葛藤の中でいつもときめき心揺さぶられるのは、30年以上一人で家を作っていたおじいちゃんや、山奥で黙々と作り続けている世界的な陶芸家など「自分だけの世界観を貫き作っている人」でした。
私もそうなりたいと思っている。
それが確信に変わったのが、東京藝術大学美術学部工芸科教授、上原利丸先生の退任展でした。展示場には生涯かけて作られた、洗練された作品たちが圧倒的な存在感で広がっていて、そこにご本人がいることでより一層伝わってくるものがありました。友禅染めについて詳しくないので技術云々は分かりませんが、素人目で見てもそこへとんでもない時間と魂を注いでいるのはすぐに分かります。
自分の中から出てくるものに蓋をしなくていい、自己完結させる世界観でいい、人生を注いでいい。
作品たちにそう言われているような気がしました。何も語らず、ただそこにあるだけで見る人へメッセージを伝えられる。そんなことができるのは、圧倒的な時間と魂を注いだ作品だけだ。私はやっぱりそういう作品を作りたい。
しばらくライブができていなくて、待ってくれているファンの皆さまには申し訳ないなと思っています。ですが、私の中にある作りたいものが今少しずつ見えてきていて、次にステージへ立つ時はどうしてもそれを見せたいんです。作品がまだまだ少ないので時間がかかりますが、必ずお見せします。
私もまだ見たことがない、私の中にある作りたいものを。
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