「社員教育を企業の社会的責任として考えてみる」~町工場の夫は准教授
今回の記事は、前回の続編です。
社員教育に対して、なぜ大切なのか?必要なのか?という点を考えてみました。
考えてみると「企業の社会的責任として社員教育をとらえる」という、一つの考え方にたどり着きました。
じゃあ、社員教育を企業の社会的責任としてとらえるということについて、少し深堀をしてみようと思います。
日本における企業の社会的責任(CSR)とは
企業の社会的責任は、CSR(Corporate Social Responsibility)といったほうがなじみが出てくるでしょうか?
一時期、はやり言葉のように、CSRと言いう言葉がよく聞かれました。
そもそも、企業の社会的責任というものは何か?
多くが企業の持続的発展という期待に応えることとしてとらえられているようです。したがって、企業の持続的発展のために行う活動であり、収益を上げた後に、利益追求活動のプラスαで行う活動と考えているようです。
例えば、ボランティアとか、清掃活動とか、寄付活動とか社会貢献活動であったり、イメージアップ戦略というものです。
これらの活動は、利益が出てからという活動になってきます。
企業の社会的責任から社員教育を考える
日本における企業の社会的責任から社員教育を考えると、「会社の持続的発展のため」であり、そして「利益が出てから」という位置づけになってきますね。
このような視点で考えると、社員教育に対しての経営者のジレンマというものになってきそうです。
会社のためには社員教育は必要だけど、そこにカネを回すほどの利益がない。つまり、社員教育をやりたくてもできないということ。
社員教育というものを後回しにする、優先順位が低くなるというのも仕方ないことになります。
企業の存在意義を「利益を上げる」ということを主眼に置いていれば、「利益が少なければ」、俗にいうCSR活動はできない。したがって、社員教育をCSR活動と位置付けたとしても、できないということになります。
CSRの内容をもう一度
CSRとは、企業の持続的発展のための活動ですが、この持続的発展が社会的責任を果たすというものなのか?もう少しCSRの定義づけをはっきりさせていきます。
経済産業省では次のように定義づけをしています。
持続可能という点は確かに書いてある。ただ、「企業を取り巻く様々なステークスホルダーからの信頼を得る」という要素があります。
さらには、「社会や環境と共存」という要素も。
この定義から考えると、企業活動が利益追求を主目的としていたとしても、その活動の影響について責任を取るもの。そして、それは利益が出てからというものではないということになります。
社員に対する影響を考えると
経産省のCSRの定義と社員と会社の関係を考えると、企業活動において、社員に対する影響について責任があり、社員からの信頼を得るということになりそうです。
具体的に、社員教育というと「幹部社員が育たない」「管理職になりたがらない」「社員が主体的に動かない」「社員に向上心がない」といった課題解決と考えることができます。
この点は、会社が社員に対しての影響と責任をどのようにとらえているのか?そして信頼を得ているのか?ということから考えてみる必要がありそうです。
さらに近年では、経産省では「ビジネスと人権」との関わりでもCSRを考えています。社員の人権というものをどう考えるかということも。
会社が与える社員に対しての影響というと、前回の記事でも触れたことです。つまり、学校卒業後の人生の大半を、「企業で過ごす」そしてその期間での「生涯学習」ということが関わってくるのではないか?ということです。
おわりに
社員教育を、会社のために、会社の持続的発展のためにという視野だけではなく、企業の社会的責任とは何か?というところから考えてみるということをしてみました。
いや、企業の社会的責任として社員教育活動は含まないという価値判断もあるかもしれません。
みなさんは、どのように考えますか?
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