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人生さいごの備長炭

きまぐれな日記です。

 私の父は、夏になると実家の犬走でバーベキュー大会を開催してくれる。とっくの昔に成人し実家を離れた娘二人にも、「◯月×日に、バーベキュー大会をしようと思いますがご都合いかがですか」と使い慣れないLINEで招集が掛かるのだ。そのたびに、私は一時間半かけて実家へと帰ることになる。
 バーベキュー大会、と言っても一般的に想像する「グリルを皆で囲んでわいわい喋りながら焼いて食べる」というものではなく、現役板前である父が食材調達から下拵え、そして焼き作業も全て一人で行い、家族は食べるだけというスタイル。もはやただの焼き鳥屋。もう我が家はかれこれ二十年以上はこのスタイルで「バーベキュー大会」をやっている。

 バーベキュー職人(父)の朝は早い。朝から数件のスーパーを回り、鮮度が高い鶏肉各種(ネック、心臓、砂ずり、レバー、手羽先などのホルモンが中心なのも我が家スタイル)を選んで回る。この時に、きれいな鮎なんかがあればこれも一緒に焼いてくれる。食材を調達して家に戻れば、鶏肉は部位ごとにきれいに掃除して金串に串打ちをする。当然タレも父のお手製。
 そして夕方ごろになると、犬走にごく一般的なバーベキューグリルが設置され、箱の中から備長炭を選んで炭を組んでいく。何やら空気の通り道的なものがあるらしく、乱雑に置いては駄目らしい。着火してからもすぐに焼くのではなく、少し火が落ち着いてから順番に焼いていく。この焼き順も、炭火は時間経過と共に火の強さが変化するので、父によって適した順番が決められている。
 鮎を焼く時も、山で採ってきた竹(許可を得ています)を半分に割り、中に水を張ったものをグリルに設置するのが恒例になっている。こちらも父お手製の専用装置で、その竹の上に鮎の頭尾を休ませながら焼き加減の面倒を見ているらしい。もはや私のような素人では手も足も出ない。
 子どもの頃に数回だけ、一般的なバーベキューもした気がするけれど、気が付けば今のスタイルが定着していた。もしかすると、その数回のバーベキュー中に父と母は口論になったのかも。

父「それまだ。これは焼けてる。はい、今もう網からどかして!」
母「もう面倒くさい。あんたが全部焼いてよ! その方が美味しいやん」
……てな具合に。(想像です)

 そんなちょっと変わった我が家の「バーベキュー大会」は、食材を全て焼き終えると、父が水を張った大きなバケツの中に炭を落として終了となる。「ジュッ」といい音を立てて水の中に沈んでいく備長炭たちは、また天気のいい日にしっかりと天日干しされて、次のバーベキュー大会で活躍する。

 さっそくこの七月末にも、ことし第一回目のバーベキュー大会が開催された。いつも通りにたっぷりと炭火のいい香りがする肉や野菜を味わったあと、父はひと仕事終えた疲れとお酒も手伝って早々に眠りについた。
 その夜に、母が何気なく言ったのだ。
「お父さんな、このあいだ備長炭も新しく買わはってんで」
「そーなんや」
「『これが俺の人生最後の備長炭になるはずや』って言うてた」
「え、人生最後? なんで?」
 父はいつも、段ボールに入ったちょっといい備長炭を使っていた。父はいま六十歳。人生最後って、我が家のバーベキュー大会は近いうちに廃止ってこと? と、あまりに急な知らせに私は驚いてしまった。けれど母は、なに言うてんのと笑った。
「何年使ってたと思ってんの。もう二十年近くなるんちゃう?」
「ええっ、そんなに!?」
 私は知らなったのだ。炭を再利用していたことは知っていたけれど、そこまで大きくはない段ボールひと箱の炭が、そんなに長持ちするなんて。年にバーベキュー大会は多くて五回。年に二、三回くらいが平均値かもしれない。そうなると、年三回×二十年……いや、やっぱり結構長持ちだ。それは確かに、「人生さいごの備長炭」になるかもしれない。あと二十年も経てば、父は八十になるのだから。
 昔から仕事人間で、料理バカで、おまけにかなりのコミュニケーション下手な父。仕事モードになると、出先だろうが旅行中だろうが家族の声が聞こえなくなってしまう。確かに料理の腕がいいのは認めるけれど、あまりにも世間のことを知らなさ過ぎてときどき心配になるような、そんな人。
 クレジットカードは持っておらず、電車もつい最近ICOCAデビューを果たしたばかり。高速バスの切符は電話でしか取ることが出来ないし、少し前に瑛人の「香水」が流行った時には、父が「ドルチェ&ガッパーナって何?」と尋ねて、妹に「コンビニスイーツのブランド名やで。シェリエドルチェ、とかウチカフェとかみたいな」としょうもない嘘をつかれてあっさり信じていた。(すぐに訂正していた)
 そんな父と家族の唯一と言ってもいいコミュニケーションツールは料理で、この年に数回のバーベキュー大会はその最たるものだった。昔の父は連休がほとんどなかったので、夏休みも遠方への旅行をした記憶はあまりない。その代わりに神戸でたらふく美味しいものを食べさせてもらったり、琵琶湖に連れて行ってもらって、やっぱり父が炭をおこしてバーベキューをしてくれたのを覚えている。
 
 父は私の知らないうちに、父と家族を二十年近く繋いできた備長炭を一箱使い切り、そして本人いわく「人生さいごの一箱」に突入していたらしい。何だかそう思うと、感慨深いものがある気がする。我が家の歴史、備長炭にあり……的な(笑)。
 そんなしんみりしたことを思う反面、今回これまた二十年選手だったバーベキューグリルも同時に新調されていて、何だかむしろサイズが大きくなっていた。父は「これ凄い! 一気に焼ける!」とかなり喜んでいた。言わずもがな、やる気満々である。
 まだまだ、父の「人生さいごの備長炭」の歴史は始まったばかりのようだ。

新バーベキューグリルと串打ちネック
鮎焼き装置(旧グリル)
炭消し




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