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価値ある瞬間

Live a moment

日々積み重ねている日常の連続はどこからどこまでが価値のあるものなのだろうか。

作業や仕事、雑事に追われていくと、過ごす時間一瞬一瞬の価値が変わってくる。かけがえのない時間と思える一瞬よりも、早く過ぎ去って欲しい苦痛と思える一瞬の方が増えてくる。そんなとき、どうすれば自分の時間を愛することができるだろう。人生を過ごしている自分自身を嫌いにならずに済むだろう。

そんなことを吐露した人がいて、少しのあいだ黙って考え込んでしまった。

この地球上にいるすべての生き物が、時間という概念を共有して生きている。それが長いか短いか、苦痛か安楽かに正解はない。ただ言えるのは、時間自体には価値も理由もなくて、そこに意味をつけるのは「自分自身」だ。

「さびしい時はさびしがるがいい。 運命がお前を育てているのだよ。(『出家とその弟子』倉田百三)」これは、大正、昭和初期に活躍した日本の劇作家の書いた一幕に出てくる言葉だけれど、どんな瞬間にも価値があるということを教えてくれる秀逸な言葉だと思う。
どんな日常の連続にも価値があるとみれば、そこには人生の美しさ、素晴らしさしか見えない。

凡庸に思える自分の人生が本当に凡庸かどうかは、自分の意識が明白か混濁か次第だ。この平易な一瞬にも価値があるという風に生きることができれば、日常の積み重ねのすべてに価値を見出すことができる。そこに気づくのに、病や別離や負債をきっかけにする人たちが多いけれど、欲をいえばそんな辛さを伴わずとも、価値があるということに気づければいいに決まってる。

自分の置かれている状況を招いたのも自分である。そのことを知り、わきまえ、生きるということで。

【地域情報誌フジマニvol.118(2016年7月)掲載の編集長コラムからの転載です】

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