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イスラムという、愛すべき隣人たちを。

(Facebookに書いた2015年1月25日の記事の転載です)

イスラム国による日本人拉致事件って、いったいどういうことなんだ?

今回のイスラム国による日本人拉致事件から、一転殺害事件へ。
事件が推移するのを見つめながらフツフツと湧いてくる疑問と、この事件がもたらす最悪の展開への想像が自分の頭をもたげさせるので、こういった形で文字に落とし込むことにした。

まず今回の事件を読み解くにあたりイスラム国とそれを取り巻く状況の理解が浅かったので、東京大学准教授の池内恵氏のブログ(http://chutoislam.blog.fc2.com/)を主な情報確認源とした。

昨年9月にPMC(Private Military Company)と呼ばれる民間軍事会社の代表としてシリア入りしていた湯川遥菜氏が昨年9月にイスラム国に拉致をされ、1ヶ月後の10月に後藤健二氏がその救出を画策してイスラム国と接触するも逆に囚われてしまったというのが概要だが、ここで我々が立たなければならないのはイスラム教を信仰する多くの中東の方々と、そのなかで暗躍するイスラム国の立場だ。

知ってるようで知らない「イスラム国=はぐれもの集団」

まず予備知識としていれておきたいのは、中東の精神的な支柱ともいえるイスラム教の信仰の解釈で、おおまかに2派があるということ。マジョリティ(多数派)であるスンニ派(またはスンナ派)とマイノリティーのシーア派があり、国家レベルでこの宗教で線が引かれている。これ以外にさらに過激な思想とコーランの解釈をしている一部一派とその支持者が今回のイスラム国の主体者となっており、それをここでは便宜上で「現代ハワーリジュ派」と呼ぶ。便宜上でというのは、イスラム国と近似の思想で過激な活動していた“ハワーリジュ派”という教派がイスラムの歴史上で存在し、一部で「現代のハワーリジュ派のようだ」と呼ばれているからだ。

しかし、かつてのハワーリジュ派が政治的な理由で分派したのに対し、今回の現代ハワーリジュ派は政治的な理由というよりは、平和的なイスラム教国に居場所のない一部の半グレ過激派集団に、アメリカによるイラク戦争で国外に逃れた旧フセイン政権の残党が加わり、さらに欧米諸国で迫害されていたイスラム教徒が同調するなどし、イスラム社会でも「はぐれもの」が徒党を組んだ集団であるという点が異なる。しかしそこに一部のオイルマネーを握るスポンサーや共産圏からの武器供与が絡んで急激に増長をしてその勢力を伸ばし「国家設立」を目指しているというのがざっくりとした理解だと思っている。

この「イスラム国」とその支持者たる現代ハワーリジュ派をつないでいるのはイスラム教の信仰の解釈であると同時に、欧米諸国への敵対感情だ。かつての十字軍侵攻にはじまり、1915年から1917年にかけておこなわれたイギリスによる三枚舌外交、そしてアメリカによるイラク空爆など、過去に流された血への恨みを持つ者同士が手を取り、欧米・ひいてはキリスト教徒への怒りとなって一連の事件を起こしているという構図だ。

そういう中東における欧米諸国への感情的な下敷きがあるので、日本人は中東において基本的には中立な立場でインフラの整備や教育などの人道支援をしてきた経緯がある。このことから、これまではほとんど中東におけるテロリズムに日本人が主体的な標的になることは皆無だった。

日本人がそこにいる「理由と立場」が明暗を分ける

ここからが本題なのだが、今回の日本人2人のうち湯川遥菜さんは民間軍事会社の代表としてイスラム国に捕まってしまった。

中東を支援する目的ではなく、武器を持って戦闘員として加わっている珍しい立場の日本人なのだ。ちなみに中東やアフリカへ戦闘への参加を目的に渡航する日本人は一定数存在する。有名なところでは柘植久慶氏や毛利元貞氏など。大体が傭兵として海外で仕事の場を求め、生き残って日本で活動をしてはいるが、どちらかといえば湯川氏はこの2名に近い立ち位置で中東と関わった。職種の特殊性を鑑みると、この時点で処刑をされてもおかしくない立場だった。

上記の理由があり、9月の拉致発覚時の日本の外務省の反応は「自己責任論」の風潮が強かったという。わざわざ平和な日本を出て戦争をしにいった人間が、捕まったから助けてくれでは筋が通らない。中東の感情を逆なでするようなことは避けたい。という空気だ。

しかし今回、湯川遥菜氏と個人的な親交のあったジャーナリストの後藤健二氏が何らかのルートで湯川さんの健在を知り、孤軍救出の交渉に向かったところが罠にかけられ囚われの身となったのが昨年11月。その後、安倍晋三首相の中東諸国を歴訪がおこなわれ、「イスラム国対策のための人道支援」という、名目はどうあれイスラム国を名指しで200億ドルの供出を約束したことがイスラム国の反感を誘った。それにより、今回の湯川氏、後藤氏が利用される形で、個人レベルの動きが国家レベルの問題にまで引き上げられてしまった。

「国家レベル」の最悪のシナリオを迎えないために

個人的な考えとしては、今回の事件が個人レベルの問題で終わっていてくれればどんなにかよかったかと思う。しかしそうではなくなった以上、最悪のシナリオに向かわないように祈るばかりだ。

最悪のシナリオとは、イスラム国のみとの対立を超えて、イスラム社会全体と「日本」という存在そのものが感情的な敵対状況になることだ。例えば後藤さんの解放の条件をヨルダンに囚われている女性捕虜との交換とイスラム国は条件を提示してきたが、この条件を日本政府の要請でヨルダンがのむようなことがあれば、ヨルダンの世論が支持している、同じくイスラム国に囚われているヨルダン人のパイロット救出の可能性を潰すことになる。そうなれば、日本へのイスラム国家全体からの反感は避けられない。

当然ながらイスラム圏は一枚岩ではなく、それぞれの国や政府の単位でさまざまな利害や損得の駆け引きがおこなわれるわけだが、最優先で考えるべきはそこに住まう国民の感情だ。日本国と日本人に対する感情をこれ以上悪くしていくことは最優先で避けるべきことだと考える。そういった大局的な目線で見ることができなければ、欧米諸国がそうであるように、まずは『日本人がイスラム教徒への差別や迫害を始める』に違いない。瞳の色や肌の色や信教によって生まれた差別や迫害は憎しみや怒りとなり、日本社会におけるイスラム教徒による反日感情を増大させる。それが最後にはイスラム過激派による無差別なテロのようなかたちで表出するのだ。

イスラムという愛すべき隣人たちを

そして、今回のイスラム国による一件がどういう決着を迎えるにせよ、日本人は日本に住まうイスラム教の隣人たちに対し、上記のような基本的な知識を下敷きにした上で、日本にいるイスラム教徒のみなさんはイスラム国とは違う、愛すべき隣人であるということを知り、これまで通りに関わり続けることが何よりも求められる。

今回の事件がこれほどまでにセンセーショナルに報道されると、日本人の中には無知や蒙昧が原因でイスラム国という犯罪集団の仕業であるという事実を飛び越え、イスラム教徒やイスラム圏の国全体を避けたり、怖がったり、場合によっては差別したりというような事態に転じるかもしれない。

それがある意味イスラム国の一番の目的なのだ。なぜなら、欧米諸国で生きづらさを感じたイスラム教徒が、いまイスラム国を構成している戦闘員の大多数を締めるからだ。

差別と迫害は怒りを生み、転じて復讐となり、さらにその復讐がさらなる差別と迫害を生む。憎しみと復讐の連鎖は日本を根底から崩壊させる。

春の花見や、東京ディズニーランドで爆弾が炸裂する、そんな恐ろしい最悪のシナリオだけは絶対に避けなければいけない。そのために我々ができることは、日本人の愛すべき隣人であるイスラムの仲間と連携し、ともにイスラム国を封じる策を練るということ。肝要なのはそこだ。

そして国家がすべきこと。それは、大局的な事態の収束とともに、目の前にある事態の解決だ。

個人の行動が生み出した結果が、インターネットという人外の力を得ていま、大きなものを壊しかねないところにきている。

決してテロに屈することなく、しかし後藤さんを見捨てることもなく、金や、圧力でイスラム社会の調和を乱すような振る舞いも可能な限り避けて、ギリギリのラインでできる最大限の解決の努力を、この水面下で日本政府が力を尽くしているということを信じたい。

(1月25日 脱稿)
参考記事→http://chutoislam.blog.fc2.com/blog-entry-258.html/http://chutoislam.blog.fc2.com/blog-entry-264.html

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