見出し画像

ネクトン

新型コロナウイルスの災禍の最中にあり、客先に出向くことが極端に減った。空き時間を使って、旧いデータの整理等をしている。特に、Dropboxのスマートシンク機能を使って過去データのライブラリ化・アーカイブ化を進めている。

この機能優れもので、実データはDropbox上にあるのに仮想インデックスだけMacのSpotlight検索に引用させるので、過去のデータから必要なデータを検索できる。

そんなこんなで旧いiPhoneを久々に起動し、メモ帳などのデータをダウンロードしていたら、2011年8月27日 土曜日 9:57のメモで「ネクトン」と題したこんなメモが見つかった。

それから約4年後、「ネクトン」の言葉を冠したコワーキングスペースを立ち上げるとはこの時点では思ってもいなかったが、このときすでに「NEKTON」という言葉に出会っていて、こういう言葉の世界観を感じていて、そして残していた。感慨深いなあと感じる。
そして、いまも同じ気持ちでいると感じる。

***

ネクトン

「その日がきた」という言葉を残し、スティーブジョブスがアッブルのCEOの座を降りた。

思えば、俺が生まれて初めてコンピュータに触ってから約20年。CPU32MhzのQuadra800が描き出すキッドピクスの点と線に魅了されてから、はや20年。その間ずっと自分はアップルの、スティーブジョブスのファンであったように思う。

彼を語るキーワードは「選択肢」であると俺は思う。俺たちは本当に選択肢を選んでいるのか? 用意された道をただ惰性で進んできただけではないのか。もちろんその道のさなかにも様々な分岐点があり、自分の人生を切り開いてはきたのだろうが、その選択は予定調和という大きな流れの中でのチョイスに過ぎなかったのではないか。

流れるままに生きる。それが悪だとは思わない。全ては、自らの幸せの為にすべきことをするだけのこと。むざむざと茨の道に身を投げる法はない。ただ、時にいるのだ。ジョブスのように、道なき道を切り拓く人物が。

地球上に存在する全生物のうち、総量が多いのは人間でも昆虫でもなくプランクトンなのだという。プランクトン。海流に流されるままに生きる浮遊生物を指す。対して、海流に逆らい、回遊し、目的地を定めて生きるのはネクトン。遊泳生物と呼ぶ。たゆたい、呼吸し、いつしか海に還るだけの存在であるよりは、俺は自らの意思で泳ぎ、足掻き、息絶える人生でありたい。

願わくば、俺にもいずれ来る「その日」まで。
道なき道さえも切り開ける存在として。

2011年8月27日 土曜日 9:57

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?