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大きな手を持って生まれて

hand to hand

ちょっと前、カフェウィークでいろんなひとの「手形」を並べるという出し物をしていた海樹というおみせがあって、その一群におれも加わって手形を飾ったことがあった。ピンク色のインクを塗って色紙に押し付けた手形。あとあと聞いたら、お店に並べた手形のなかで俺の手形が一番くらいにおおきかったんだそうだ。 大きな手を持って生まれた俺だけど、割と細やかな作業が好き。A型気質全開で、日曜大工とか凝って作っちゃう。だけどやっぱり、どんなに大きな手を持って生まれても持ちきれないものがある。「一人っきり」から「二人」で仕事に動く日々に変わっていま感じるのは、持てるものが大きく変わって来た気分。ひとりじゃ結局両手を伸ばして指が届く以上のものは持てる道理はない。けれど、二人ならば両端に指をかけ、「せーの!」で持ち上げればいい。持ち上がらない重さや大きさを持ち上げようというときに、選択として「個人の力の強さを鍛える」ではなく「仲間を集めること」。それが俺の中には発想として抜けてた気がする。 『ひとりでも私は生きられるけどでも誰かとならば人生ははるかに違う』とは、中島みゆきの「誕生」の歌詞だけど、これまで俺は自分一人でどうにかしようと思って来ていた。写真が必要ならば自分で撮る練習をし、デザインが必要なら独学で学んだ。ウェブ制作が必要となればソフトとマニュアルを買い込み、どうにか「自分一人」で解決しようと考えつづけていた。 でも、「一人」よりも「誰かと」のほうが遥かに違う。自分の能力にはもちろん限界があるのだ。自分一人だけで道に迷って右往左往するより誰かに道を聞いて、誰かとともに歩むほうが遥かに違う。ひとりで握れば武器。けれど、ふたりで握ればあいさつ。大きな手は、できれば誰かと握るための手でありたい。

【地域情報誌フジマニvol.41(2009年5月)掲載の編集長コラムからの転載です】

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