ハイエルダールにあこがれて。
(Facebookに書いた2014年10月6日の記事の転載です)
偉大なる男に憧れるのは、男の子が少年になる過程の必須課目のようなものだと思う。例えば冒険家、植村直己や、ジョージ・マロリーや、開高健や、ニール・アームストロングといった前人未踏の地に人類にとっての大きな足跡を残した男たち。またはトマス・エジソンやアルバート・アインシュタインのような科学者の偉業を知るにつけ、こんな男になりたいと思う。その憧憬たる存在がいまの子ども達にとってはもしかしたら、スティーブ・ジョブスやマーク・ザッカーバーグのような起業家に成り代わっているのかも知れないけれど、偉大なる功績を残した多くの先人に憧れるのは、大人になる上での通過儀礼のようなものだ。
僕にとってのそれはハイエルダールだった。トール・ハイエルダールというノルウェーの人類学者で、僕が彼の人を知った一番最初は小学校低学年の頃に読んだ「できるできないのひみつ」という学研のまんがで、コンチキ号というバルサを蔦で組んだ筏(いかだ)を使って南米大陸からポリネシアの島まで八千キロメートルを旅したというたった4ページの物語だったのだけれど、それを見るだけでワクワクしていたことを覚えている。その後偶然にも、風邪で寝込んだ自分にヒマつぶしにと父親が買い与えてくれた本が「コンチキ号漂流記」というハイエルダールの伝記小説だったのだ。
人類学者であったハイエルダールが気付いた、ポリネシアの島々に暮らす部族と南米大陸インディオの部族との奇妙な相似。はるか八千キロメートルの広大な海で阻まれた二つの民族のあいだになんらかの関係性があったのではないか。遥か昔にはそんな大海を渡り切る大きな船は無かったとその学説を一蹴する学者仲間に、その当時にあった筏(いかだ)で海を渡った事を自ら証明してみせると決意したその経緯など、ワクワクする船出から謎と不思議に満ちた波瀾万丈の船旅まで、当時の風邪の熱に浮かされた自分を夢中にさせるには十分すぎる要素のオンパレード。そしてなにより、こんな嘘みたいなことを現実にやった人間がいたのだという「事実であること」の力強さ。その力強さに参ってしまって、それから自分の中には勝手にハイエルダールのDNAが刻み込まれていると思っている。
遥か八千キロメートルの旅を仲間と共に果たし、晴れてポリネシアとインディオの関係性という、自分の学説の論拠を証明したハイエルダール。しかしその学説自体は近年、さまざまな理由で正しくはなかっただろうということが定説になっている。けれど、それはそれで良いのだと思うのだ。自らの意志を通し、困難を成し得たということに男の矜持がある。ノルウェー仕込みの浪花節はその後1969年、アステカ文明とエジプト文明との類似を証明するために古代エジプトの葦製の船「ラー号」でモロッコからカリブ海のバルバドス島まで到達したり、1977年に葦船「チグリス号」でインド洋を航海して成功するなど大暴れ。目的を手段が上回っている顕著な例だけど、この面白さがなんとも言えないのだ。
何かを成し遂げ、残すということ。その楽しさ、尊さを教えてくれたハイエルダールは2002年に死んだけれど、この偉大なる男のDNAはきっと僕だけじゃなく、この世に何かを成すと決めている多くの地球上の男たちの心に種火を残しているはずだ。2014年10月6日。今日はトール・ハイエルダール、生誕100周年の日。
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