祈るな! 手が塞がる!
(地域情報誌フジマニ 2004年5月号 vol.18 掲載の編集長コラムから転載)
Guts is said.from BERSERK.
「祈り」という言葉に疑問を抱き、この文章を書く。祈り。例えば死者に手向ける花があり、祈りがある。それらは大いに意味があるだろう。彼らがそれで帰ってくるわけではないけれど、彼らの平安を願い、花を捧げ、思いを託し、俺たちはまた自分たちの人生へと帰っていく。言わば、それは残された生者のための決別の儀式。だけど、昨年のスマトラ沖地震や、世界中の紛争や内戦に祈るというのは、果たしてどうなのだろうか。それはとても自己愛的で、無責任で傲慢な閉鎖的行為に思えてならない。いくら何千万人もの人間が平和への祈りや復興への願いを送ったところで、一斤のパンが足りない子供の腹の足しにはならないし、今この瞬間も飛び交う弾丸を止めることにはならない。
「やらない善よりやる偽善」ってのは、かの悪名高き2ちゃんねるから出て来た言葉だけど、実に本質を突いていると思う。いかな聖人が祈りや願いを唱えたところで、打算や売名のために送られた偽善の義援金の方が、どれだけの人を助けるか知れない。祈りや願いとは裏腹に、行動しなければ解決しない問題ってのは多々ある。
そして日本に住む僕らがなすべきこと。それは死者への黙祷でも災害への怒りでも復興への祈りでもなく、とりあえずお金を送るべきなのではないだろうか。例えばコンビニの募金箱でも、ドラえもん募金でもなんでもいい。祈るよりも、行動を。生きることとは、現実とはつまりそういうものなのだ。
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