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藤の随(まにまに)

God helps those who help themselves.

(地域情報誌フジマニ 2018年8月 vol.140掲載の編集長コラムからの転載です)

0と1の配列によって半導体が見たこともない絵を描き、音楽を奏でる。
コンピュータの中で走る二進法のデータ配列のさまは人間ひとりひとりのDNA に刻まれた未知の可能性を見るようだ。

100m を9秒台で走り、手のひらの中のデバイスを世界とつなぎ、火星にロケットを飛ばす。人の能力は果てしない。けれど経験から言って、その能力の発現スイッチが押されるのは、困難や試練に立ち向かったときだけだ。

日々迫り来るさまざまな出来事。そりゃ良いことばかりの人生が良いけれど、そうも行かない。思わぬ困難に直面し、戸惑いながらも歯を食いしばり、耐えなければいけないとき。絶望に倒れ伏し、砂を掴み立ち上がらなければいけないとき。その逆境を乗り越えようとする意思が、その人の魂のスイッチを押す。
天災や人災で平穏が奪われるときもまた同様なのだと思う。日々は積み上げであり、解決や進歩をもたらすのもまた地味でまっとうな積み上げだけだ。ドラマや映画のような一発逆転もなければ、すべてを解決するヒーローも現れない。我が身から出たサビも降りかかった迸(とばっち)りも自らの身に起きた出来事と割り切り、自分の人生を自分で良くする以外に道はない。

この街に生まれ、育ち、なりわい、生きている自らの境遇がここにあり、誰と比べるでもなく自分なりに答えを出そうと困難に立ち向かう。けれど望むような答えが出てこないとき、そんなときには「やるべきをやるのだ」と呟いて、また歩き出す。

ケ・セラ・セラ(なるようになる)という言葉もあるけれど、最近、「隨(まにまに)」(思うままに任せる)というピッタリの言葉を知った。
やるべきことをやるしかない。その後は、マニマニ。
『この旅は 成すべきを成す何事も 仕掛けて後は 藤の隨(まにまに)』

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