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Quoraより転載: 「無敵の人の唯一の弱点ってなんだと思いますか?」へのアンサー

「無敵の人」という存在が、2ちゃんねるの創始者である「ひろゆき」氏の指す無職社会的信用が皆無逮捕というのがなんのリスクにもならない人』という存在を指すのだと解釈して本回答を記します。

この「無敵の人」がネットスラングとして生まれたのは2008年頃、初出はひろゆき氏のブログだったようです。その後、2012年から2013年にわたって起こされた「黒子のバスケ脅迫事件」の犯人、渡邊博史が自身を『無敵の人』と称し、裁判で以下のような供述をしてあらためてネットミームとして定着した感があります。曰く、

「日本社会は無敵の人(人間関係も社会的な地位もなく、失うものが何もないから罪を犯すことに心理的抵抗のない人間)にどう向き合うべきかを真剣に考えるべき」

と。

失うものがなく、人生を捨てた人にとっては日本の司法による罰は罰になり得ず、抑止力にも強制力にもならないというテーマです。

今回の問いは「唯一の弱点はなにか?」という内容ですが、この世を生きる人である以上、身体的苦痛を与えるとか根源的な方法で責め立てることは可能かと思いますが、中国ならいざ知らず法治国家の日本において、そのような方法で無敵の人を律することはできず、さりとて他の方法も明確な答えはなく、思いの外難しいと感じます。

あるとしたら、希望を提示するということでしょうか。

アメリカ合衆国は、「アメリカンドリーム」という概念的な『希望』を掲げることで移民たちに共通して努力と勤勉の先には成功があると示しました。ほんの一握りの貧しさからの脱出者、成功者のシンデレラストーリーが、かぼそい糸として社会を吊るしています。

また同じくアメリカの犯罪者の更生プログラムでは、受刑者ひとりひとりに仔犬を与えるという取り組みもありました。犬を育てる過程で愛着を育て、守るものを生み出し、更生と出所後の再犯の抑止に繋げようという試みでした。

しかしそのどちらも、響く人には効果的に機能しても、響かない人にはなんの枷にもなりません。

黒子のバスケ脅迫事件を起こした渡邊博史は、自身の人生を「自分の人生は汚くて醜くて無惨であると感じていました。それは挽回の可能性が全くないとも認識していました。そして自殺という手段をもって社会から退場したいと思っていました」と評しました。

そして「その決行を考えている時期に自分が手に入れたくても手に入れられなかったものを全て持っている『黒子のバスケ』の作者の藤巻忠俊氏のことを知り、人生があまりに違い過ぎると愕然とし、この巨大な相手にせめてもの一太刀を浴びせてやりたいと思ってしまった。自分はこの事件の犯罪類型を人生格差犯罪と命名した」とも話しました。渡邊本人がこれら動機と背景を以下のように平たく表現しています。

「自分の人生と犯行動機を身も蓋もなく客観的に表現しますと「10代20代をろくに努力もせず怠けて過ごして生きて来たバカが、30代にして『人生オワタ』状態になっていることに気がついて発狂し、自身のコンプレックスをくすぐる成功者を発見して、妬みから自殺の道連れにしてやろうと浅はかな考えから暴れた」ということになります。これで間違いありません。実に噴飯ものの動機なのです。」と。

彼は出所後に自殺をすると明言し、服役の期間を自身の自殺権を剥奪され、自殺をお預けにされる期間と称しました。2013年に逮捕され、4年3ヶ月の実刑を受けた渡邊は、2017年頃にはおそらく勾留から数えても刑期を終えているはずで、何らかの形で再び刑務所の外の地を踏んだはずです。言葉通りならば、彼は自殺したのでしょうか。しかし、その報が伝わり聞こえることは今のところありません。

願わくば、4年の刑期の中で彼なりの生きる希望を見出していることを。自身の人生を無惨と評し、これほどの内観の分析を行えるほどの能力があれば他に生きる道はあるはずです。

コロナ禍の最中、そしてこれからの社会不安の中で、職を失い、希望を失い、自身を『無敵の人』と感じてしまう人が一人、二人とあらわれるかもしれません。そのとき、彼らのことを理解し、本質的に寄り添って、社会における最適解を見出していくことは、彼のような分析眼のある当事者にしかできないことのような気がするのです。

以下、長いですが冒頭意見陳述から冒頭部分を引用し転載します。犯罪者という立場でありながら精緻に自身の負の心情を描写した希有な文章。そして、それを収録した書籍です。ぜひ一読されてみてください。

生ける屍の結末――「黒子のバスケ」脅迫事件の全真相 | 渡邊博史 |本 | 通販 | Amazon

(引用元:「黒子のバスケ」脅迫事件の被告人意見陳述全文公開1(篠田博之) - Yahoo!ニュース

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