[限界費用ゼロ社会]を読んで考えた「漫画」のこと(だらだら駄文)

限界費用ゼロ社会を今更ながら読みました。

この本の提示するイメージは、
かなり自分で無意識に抱いていた未来のビジョンと近くて、
すごく面白かったです。 

まず、自分がそもそも
資本主義にかなりの限界を感じていたため、

資本主義と共産主義、その間を作り出す様な世界体制という考え方にとても惹かれました。

限界費用ゼロ社会、とは言葉のまま

色々なインフラ設備の費用が限りなくゼロに近づいた社会の話をしています。

そしてそこで、描かれる共有型の経済の話にはかなり得心がいきました。
なぜなら、私達はもうすでにその共有スペース、インターネットの中にいるからです。
次の世代の石油、資源は情報だと言われています。情報はもう私達だけのものではなく、世界中にシェアされ、様々なことに利用されています。

実際、アップルだとかアマゾンだとか、巨大な力が成長して、いろいろなものを吸収していっているように見えますが、
恐らくそういった大きな力は完全に世界を包み込むインフラと化し、そしてそこに残った個ひとつひとつが重要視される世界になります。

VRと共有型経済

私達は、今でも一つの地球を共有していますが、
VR世界に私達がもっと簡単にアクセスし、様々なことをそこで行うようになれば、

その仮想世界は完全まったいらな更地となります。

どこにでもだれにでもすぐにアクセス可能、
それはある意味ではワープの達成と同じ様なものです。

ワープのある世界では国境は意味をなしません。
しかも、言語補助機能が仮想世界内で発達すれば、
言葉の壁もなくなり、
国家という概念が完全に無意味となります。

まあ、それは置いておくとして、

とにかくVRが発達した社会では、全て情報は共有されるだろうということです。

つまり、もう漫画が無料だとか無料じゃないとかそういう次元ではなく、
共有財産になるだろうということです。

そこに大きな図書館ができたと考えていいということにもなります。

では、一体アートや娯楽の価値は作者に還元されなくなるかと言えば、本の中では
人はそのような世界の中では
財ではなく、知名度や虚栄心で己を満たそうとするようになるので、
自己顕示欲や称賛欲が満たされて満足すると描いてあった
しかし自分はこの点だけが甘いと感じた。

人間がそんな綺麗な生き物ならこんなに争いは起こっていない。

しかし、まあ
こんな社会見てみたい気もします。
この先何十年かでどれだけ世界が進むかにかかっていますね。 
生きているうちにお願いします。