すべての根本 こころのはなし【特別編】これからの観光~持ち物は「お邪魔します」の心~

3月21日、首都圏の緊急事態宣言が解除されます。
いえ、解除されてしまいます。

以下、不謹慎の咎を受けるかもしれない可能性を前提に、それでも、日本の本質と輝きを取り戻すために必要不可欠のことなので、あえて言わせていただきます。

コロナ禍により、我が金沢には久方ぶりの平穏が戻ってきていました。

私が生まれ育ち、現在も住んでいるのは「最も金沢らしい」と言われ、近年ではすっかり “観光名所” となってしまった「ひがし茶屋街」のほど近く。

私にとって茶屋街は通学路・通勤路であり、子どもの頃の遊び場であり、近所の方々や芸妓さんとの交流の地であり、金沢の伝統文化を肌で感じられる学びの場でした。

私が子どもの頃、金沢を観光する方々といえば「わかっていらっしゃる方々」でした。
見るからに穏やかで上品な老夫婦が、静かににこやかに談笑しつつ、金沢の歴史や先人の行いに想いを馳せながら散策をする。目が合った子ども時代の私に、にこやかに会釈を返してくださる。
子どもながらに微笑ましく感じ、私もこのような老後を送りたい、と思ったものです。

しかし、北陸新幹線開業後の金沢はどうでしょう。
品格もたしなみも、ことごとく踏み荒らされてしまった。

伝統的な街並みはテーマパーク化し、穏やかだった方々も拝金主義に傾いてしまい、商売はひたすら観光客向けとなり地元住民の足元を見るようになりました。

不躾な隣国人が店舗ではない民家にまで上がり込み、無断で写真を撮ったり、お手洗いを貸すように強要することも日常茶飯事に。

観光客がバスの運転手さんにいちいち行き先を聞くのでバスは遅れ、
通院していた時に優先席に座ったら観光客から睨まれ、
横断歩道でないところを渡ったり、
信号無視したり。
地元民の日常生活に支障をきたすことも日常茶飯事となりました。

そして、
無知で知ったかぶりな発言を垂れ流す人も。
歴史的な街並みを見て
「どーせ移築してるんだろぉー?」
雪が降ると水が出る融雪装置に対して
「私たちの新潟は全部電熱が引いてあって、ちゃんとしてるわよねぇ〜」

心ない声は、すれ違いざまに耳を突き刺し、私たちを傷つけることも枚挙に遑がありません。
「こんなとこ、人住んでるんだ~」
「今すぐ京都行きたい!京都行きたい!」
観光客というものは、周りを観光客しか歩いていないと思っているのだろうか、と言いたくなります。

我々は重要伝統的建造物群保存地区のこの土地に、築100年前後の住居や住居兼店舗に住みながら、このまちを守ってきました。
インフラや施策には、その土地土地にあった手段というものがあります。

さらに、静かだった私たちのまちに、子どもが “放し飼い” 状態になるようになりました。
子どもが外で遊ぶ元気な声、といった微笑ましいものではなく、
明らかに騒がしく、その場に似つかわしくない声が増えたのです。
まさに金沢がテーマパーク化してしまっているのです。
しかも、我慢の限界に地元民が「うるさい!」と怒鳴ると、その保護者は
「うるさいってよ」
と。
「〜ってよ」というのは、あのオバチャンがうるさいって言ってるから静かにしたほうがいいよ、という意味ですよね。
それは躾でもなんでもありません。
それでは子どもは健全に育たないでしょう。
きちんと保護者から叱られなかった子どもは、やがて保護者を疎ましく思うようにもなるでしょう。
そこに物事の本質が存在しないからです。

お子さんをお持ちの方の中には、
「子どもがつまらなさそうにしてるから」
「子どものストレスが溜まるから」
と、お子さんのせいにするケースも見受けられます。
賢明な方はご承知だと思いますが、家の中でも、近くの公園でも、少し工夫するだけで、お子さんと楽しく遊ぶことも、発散させてあげることも、十分可能です。
ご自身の道楽や言い訳のためにお子さんをダシにするような言い方をして、他の土地で迷惑をかけて…
それが果たして「子育て」や「躾」と言えるでしょうか。

おじいちゃんおばあちゃん世代にも問題があります。
伝統工芸を扱う、公立の美術館の受付を手伝うことがあるのですが、お客様の中には
「なーんだ、つまんない」
と吐き捨てるオバサンや
入館するなり
「粗茶は出ないんですか?」
と言い出すオッサン。
若い人の中にも、無言でトイレだけ使って出ていく人などもいますが、
公的機関なのでトイレの件はまだしも、
他のお客様の前で「つまんない」とは…
思わず
「お客様、お帰り口はあちらです」と言いそうになりました。

街中でも、
「つまんない」怪獣はそこかしこにいます。
どうやら、彼らの「つまらない」の基準は、
おしゃれなカフェがない
とか
映えない
とか
自分好みの場所としてカスタマイズされてない
という意味のようです。
それこそ映えるカフェなりテーマパークなりショッピングモールなりに行ってくれ、って話です。

人様の土地に来て
その場を学ぶ
という
「お邪魔します」の意識に欠けているのですね。

それには、商売の仕方が観光客に迎合してしまっている、という問題もあります。
もちろん、お商売をされている方々にも日々の生活がありますから、観光客によって潤ったのも事実です。
でも、今思えばそれは、一瞬のことだったように思います。

私が敬う中小企業診断士の先生はじめ、「わかっている方々」は、
観光客相手の商売だけやっててもダメだよ、と早くからおっしゃっていました。
私も自身のコラムやSNS等で訴えるほか、行政にも度々声をあげていました。

市役所OBの方々もおっしゃっていました。
来てください、来てください、のトップセールスばかりじゃダメだ、と。

商売の基本である「三方よし」は
「売り手よし 買い手よし 世間よし」
なのに、そこからすっぽり「世間」が抜け落ちていた。
そういう商売をしていた企業や店舗はこのコロナ禍で廃業したか、風前の灯か、です。

私は、市役所の外郭団体で10年間働いていた、元・準公務員です。
その繋がりで、金沢の現状を憂える意見を、市役所や上層部にもその都度伝えていました。
ですが、10年以上の間、一様に問題視してもらえませんでした。
北陸新幹線開業前の平成19年の時点で伝えましたが、
「それは市の範疇ではありません。住民の皆さんでなんとかしてください」
と言われました。
その後も諦めずに何度も何度も言いましたが、その都度
「対応できる部署がない」
と言われたり、
逆ギレされてうやむやにされたことも一度や二度ではありません。

私が提案し採用された案は唯一、
ポイ捨て防止条例により設置された民間警備員が、ポイ捨て監視のついでにマナーの悪い観光客を注意する、という取り組みのみ。

昨年になってようやく
「SDGsの観点からなにかできるかもしれない」
との返答がありましたが、それもズバリ的を射ているとは言えず、はっきりとした対策も見えてきません。

みんな、他人事なのです。
金沢の観光地(になってしまった)歴史的な街並みである、ひがし茶屋街、にし茶屋街、主計町茶屋街、兼六園、武家屋敷、寺町寺院群といった場所は、金沢の中心部に集まっています。
郊外在住者のほうが圧倒的に多く、クルマ社会でもありますから、
私のような問題に日々直面しているのは少数派です。

しかし、考えてみてほしいのです。
明日は我が身、ですよね。
郊外といえど、例えば、工事中の隣家から遺跡が出てくれば一躍観光地になるでしょうし、
自宅の前の並木道がある日突然「映える」と話題になって、写真愛好家が詰め掛けるかもしれません。

なにより、私たちのこのまちが壊されていくのを、黙って見ていることができるのでしょうか。

想像力と思いやり。
人として当たり前の気持ちを、持ち合わせていただきたいのです。

この問題の原因のひとつには、市や町の職員がまちを歩かなくなったから、という点が挙げられます。
前市長は自らまちを歩いて、市役所に帰ったらすぐにそれを職員に伝えて、問題点を共有し改善していました。
そのため、市役所には良い緊張感があったといいます(その代わり忙しかったそうですが)
今はそれがほとんどありません。
市長をたまたま見かけることもありますが、忙しそうに早足で歩いていたり、すぐに車に乗り込んだり、自分と意見が合う人に囲まれて飲んでいるような姿ばかり。
伝統工芸や伝統芸能の世界の諸先輩方からは「今の市長はわかってない…」という苦言も聞かれます。

市長も公職の皆さんも、お忙しいのはわかります。
元仲間でもある皆さんが夜を徹して働いているのも知っています。
庇いたい気持ちもあるのです。
しかし、今の忙しさは、本来の望ましい忙しさでしょうか。
金沢マラソンや美男美女コンテストのようなものは、本当に必要なのでしょうか。
まちを良くし、住民が気持ちよく過ごし、まちを未来永劫輝かせるために腐心するのが、本来の忙しさではないのでしょうか。

それに、これからはますます「心」がものをいう時代です。
少子化でどんなに機械化が進み、時代の傾向が変わったとしても、
こころの大切さが無くなる時代は決してやってきません。

「上っ面」「メッキ」「その場しのぎ」には、みんな辟易しているのです。
コロナによって、内側に意識を向けられるようになりました。
そういう、見えない力が働いたのです。

他所様の土地をけがす行為に、各地の神々様がお怒りになられたのです。

だからこそ、まずはマナーの悪い外国人がこの国に入れないようになった。
私はそう解釈しています。

旅に行くと気が大きくなってしまって、普段きちんとしている人でも、お行儀が悪くなってしまうのかもしれません。
旅の恥はかき捨てといいますが、
考えてみてください。
かき捨てられた土地の者は、たまったものではありません。
一人一人にとっては一瞬のことでも、その土地に住む者にとっては、毎日のことなのです。

そんな中でも、
「わかっている人」はいらっしゃいます。
これは母から聞いた話なのですが(母も金沢の現状に怒っている一人)
横断歩道でないところを堂々と渡る観光客を見て、
ピアスだらけで革ジャンを着た、別の観光客のお兄さんがお連れの方に言っていたそうです。

「あんなヤツらが毎日いたんじゃ、このまちの人たちもイヤんなっちまうだろうなぁ」

このお兄さんのような方こそ、日本の希望です。

出かけるならどこでもいい、
とにかく彼氏彼女とどこかでお泊りがしたい、という方は、
どうか金沢へ来ないでください。
これが嘘偽りのない、いち金沢市民の、正直な気持ちです。

金沢は、生半可な知識で楽しめる場所ではありません。
それは、京都も奈良も鎌倉も飛騨高山も萩も、
歴史のある土地はどこもそうです。
日本は世界最古の国ですから、日本全国、軽々しい気持ちで踏み荒らし、けがしてよい場所などないのです。

旅自体を否定しているわけではありません。
私は今でこそ自営業で県外への出張の機会は減りましたが、組織に所属していた頃は、出張ついでに観光するのが楽しみでした。
その際に必ず持ち合わせるようにしていたのが
「お邪魔します」
の気持ちです。

自分が迎える土地の金沢で散々嫌な思いをしていたのもありますし、
大学の卒業旅行で行った宮古島で、ご迷惑をおかけしてしまった、という経験も影響しています。
友人と散策中に、メインストリートから外れて、路地に入ってしまったのですが、そこでお会いした地元の方の視線に、いかにも
「このよそ者!邪魔だ!」という気持ちが込められているように感じたのです。
友人も同じことを感じ取って、すぐさま大通りへ引き返しました。

「観光地」というのはひどく勝手な言葉だと痛感した瞬間でした。

これからの旅行や観光には、ぜひ
「お邪魔します」
の心を忘れずにお持ちください。

パジャマやシャンプーは現地でも買えます。
ですが、「お邪魔します」の気持ちだけは、本人の意識でしか持ち合わせることができません。

どうか、道をふさがないでください。
地元住民を優先的に路線バスに乗せてください。
高齢者や闘病者に席を譲ってください。
最低限の下調べをしてから来てください。
お子さんの手はしっかりと握ってあげてください。
心無い言葉は慎んでください。
旅の恥はかき捨てないでください。

日本人はピンチから学べる民族です。
そうしてこれまで生き残ってきましたし、その都度賢くなってきました。

商売のかたちにしても、人がわんさか集まらなくても、経済を活性化させる方法はいくらでもあるはずです。
すでにオンラインは定着していますし、流通も発達しています。
頭の良い日本人なら、いくらでもアイディアが湧いてくるはずです。

そして、観光・旅行業界や、その人材を育成する学校の関係者の皆様にもお願いします。
これからは共存の時代です。
旅行者や観光客だけが「よし」、旅行・観光業界だけが「よし」の方針は、一新なさってください。
従業員や添乗員さんが旅行客・観光客を教育する場面があっても良いはずです。
「世間よし」を実践している組織ほど、老舗として人々からの信頼を寄せられるようになります。

これからは、
おもてなし
だけでなく、
お邪魔します。
を、どうか忘れずにお願いします。

お互いを思いやる気持ちを、ますます大切にいたしましょう。


大丈夫。
私たちなら、できます。



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本編の『すべての根本 こころのはなし』では、
ルール以前のマナーの根底、こころの部分を深く学んでいただけます。
ぜひ私とご一緒に深く楽しく学びましょう!
https://note.com/fujikoism/m/mf69ca9fb28ac

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加野 房枝@彌榮家
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