コンプレックスがくれたもの
コンプレックス。
私が死ぬほど狂わされてきたもの。
「complex」が英語の授業で初めて出てきた時、
「複雑」「入り組んだ」という訳を見て「劣等感」の意は何処へ?
と思ったことをよく覚えている。
私は特に「外見」にコンプレックスが強くあった。
記憶にはないが、幼少期誰かに何か言われたのかもしれない。
所謂「ルッキズム」に苦しんでいた。
「顔が良くないから、スタイルは良くなければいけない」
「外見が良くないから、勉強ができなければいけない」
とレーダーチャートの多角形の面積を少しでも大きくしようと必死だった。
「努力型」と呼ばれる原点かと思う。
でも、面積が大きなったとて苦しみが減ることはなかった。
紆余紆余、荒波、曲折と過ぎてきた中で、私のコンプレックスという石は下流へときて、大海を知りました。
そのおかげで現在は、学生時代ほど悩まされていないのです。
どうしても悩むことはあるし、それが悪いわけではないけれど
ある程度「余裕」が必要だと思う。
思春期に出会った大人〜!
そんな背中を見せてくれるなら、正面衝突してくれたほうが良かったよ〜!
とだけ言わせてもらい、敵意に蓋をします。
最近はやっぱり「多様性」の時代なので、より一層悩みは解放されていると思う。
ありがたいありがたい。
自分のコンプレックスが、意外とプラスに働くこともある。
直す、無くすも良いけれど、個性になるよと。
レーダーチャートは正多角形にしなくて良いと、
井の中の私に伝えたらこのnoteは書いていないのだろうね。