楽しむ大人
先日、私の住む町でイベントが行われた。
中心人物の彼はアーティストでありミュージシャンであり多数の顔を持つ人。
楽しいに命がけをモットーに活動されています。
彼の携わるアート教室の発表会でもあるそのイベントは駅から徒歩15分の山奥で行われた。
駅から歩き進むと急に静けさが広がる。
空気がしんとして、静粛な異世界に来たようだった。
そのまだ奥に行くとイベント会場の民家があった。
そこは山道の静粛とは違う。
異次元だった。
静粛な世界から異次元にワープしたようだ。
子供達と中に入ると私達は急に居心地が悪い気がした。
表情が堅くなったのがわかった。
もう場が出来上がってて、中に入り込めない気がしてならなかった。
ここにいていいのだろうか。
今すぐにでもこの場を離れたいとも思った。
後から聞くと、子供達も同じ思いだったらしい。
私はこれからは子供達にどんどん新しい世界観を見てもらいたくて、人との交流は悪いことばかりではないと感じて欲しくて積極的にその機会に挑戦している。
本来は人との繋がりはかけがえのない素晴らしいものなんだと思う。
もちろん、私自身にそれを感じて欲しい。
モラハラを受けて来たり、人に騙されたり、裏切られたり。
そんな事を繰り返すうちに私は人との関わり合いを断とうと思った。
自分以外は誰も信じることができないと思った。
いや、それは違う。
私は私を信じてなかった。
受け入れてなかった。
私の中で起こってる事実が外に現れていただけだ。
子供達も口をそろえて人との関わり合いの難しさ苦手さを語る。
そろそろ私が動き出さないと。
楽しさを体感しないと。
大人が楽しむと子供もなんだか大人っていいなと思う。
大人になるって悪くないなと思う。
この場からすぐにでも離れたいと思った私達は知らない間にその場に馴染んでいた。
誰が強制するわけでもなく、お節介に関わってくるわけでもなく、決められた役割もないけど、役割を自然と担う。
精神的な充実感が広がるその空間はいい顔で溢れていた。
アートを通して、自分を表現して、思考ではなく潜在意識と自分が繋がろうとする人達のパワーを感じた。
「つくるを通していきるを学ぶ」ってこういうことかと体が震えた。
エネルギーが行き渡り、勝手に溢れるってこういうことなんだと思う。
いちいち身構えなくていい。
みんなそのままでいい、ありのままが溢れかえっていた。
感覚ごと学ぶとはこういうことか。
思考優先になりがちな現代に本当の豊かさとは精神的な充実感なんだと教えてくれた。
生きるとは本来こういうことだ。
ライブではみんな踊り歌い、ステージにあがりまたそれぞれ表現をしていた。
誰もが主役。
楽しかった。ほんとに楽しかった。
今生は1回限りで家族や関わる人達も組み合わせも変わるかも知れない。
楽しいに命がけ。
そういう望み、希望、充実感ある人生を私も大事な家族や仲間と共にしたい。
考えるな感じろ!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?