医療事務とは一生勉強が必要となる。あの頃、母にすすめられて医療事務専門学校へ進学した。
■自己紹介■
40代主婦です。学校を卒業して8年間医療機関で事務の正社員として働きました。その後上京して派遣や非常勤などで大手企業、広報誌の制作、診療所受付、審査支払機関、講師業、単発で座談会のバイトなど経験。
しかしその結果、現在無職。
今後の身の振り方を模索しながら過去の経験を振り返っています。
私は今40代。
あの頃はバブルが弾けた直後。
あの頃とは、高校を卒業する時期で進路を考えるときだった。
私は音楽が好きで学園祭限定ものだが、同級生とバンドを組んで放課後や休日はスタジオで練習をすることに熱心だった。
将来は音楽を支える音響関連で働きたいなど、フワッと考えていた程度だった。
しかし、親は反対した。
自分も自信がなかった。
母親は結婚するまで地元企業の健康組合で働いており、レセプトを扱う仕事もしていたらしい。その後は専業主婦をしていたので、医療事務員はしていない。
私に医療事務の仕事を勧めてくれたのは母親だった。
私が「医療事務」という職種を知ったのもそれがきっかけだった。
思えば、体調を壊していつもお世話になっている受付の人はどんな仕事をしているのだろう?
働くなら、風邪などをひいて心細かった時に元気に対応してくれたスタッフのいるあのクリニックで働きたい。
のちに、新卒で雇ってもらった24時間365日対応のクリニックで働くことをイメージした。
私は医療事務専門学校へ進んだ。
母からのアドバイスで医療事務を学ぶことができて今ではとても感謝している。
医療事務は一生勉強が必要となる。
2年ごとに診療報酬という診察や検査など全ての会計に関する決まりごとが改正されていく。
医療の進化や世の中の状況ともに変化していくのだ。
2年ごとの改正だけではなく、日々薬や検査、病気の治療法など新しいことが増える。
勉強嫌いだった私は、医療事務の勉強には熱心に取り組むことが出来た。
そんな中、医療事務専門学校で学んだ
為になったことは、、
■医療機関で働くことへの心構えを準備できた
学生のうちから服装、身なりのチェックが厳しかった。医療機関で派手な姿は御法度だと学んだ。命を預かるお仕事なので冷静でいること、接遇やマナーも毎週授業にあった。卒業した先輩方の就職後のエピソードも聞くことができ医療機関で働くことへの心構えが準備できた。秘書検定やペン字も役に立った。
■生徒が同じ目標をもって学ぶことができる
専門学校は資格取得の嵐である。強制検定といって全員が受験する資格と、任意で希望者だけが受験できる資格があった。私はなるべく全てのものを受けるようにしていた。ただ、90年代半ば。今に比べると資格の種類は格段に少なかった。
学校に通学ではなく通信で医療事務を学ぶ人も今まで何人も見てきたが相当の覚悟がないと途中で挫折して辞めてしまう人を多く見た。
もちろん通信でもしっかり資格取得して活躍している人もいた。本人のやる気次第だが、サボり癖のある私には通学で合っていた。
■3週間の病院実習で現場の仕事を経験できた
お給料も出ない実習はつらいかと思っていたが、実際働いている先輩方の姿は、就職先を選ぶときにも役に立った。就職先とは別の医療機関での実習だったが、後も仲良くしてもらい、プライベートでも学校・就職先以外の同業の先輩の存在は大きく感謝しており実習は給料以上の価値があった。
あまり役に立っていない学びも、、
■時代を感じる、そろばんやワープロ、古い型のレセプトコンピュータ、英語のタイプライターの授業
そろばん苦手で、、確かに暗算には強くなるようだが私にはさっぱり取得できなかった。実際そろばん使わないし、、だけど数字に強くなるようなので小さな頃にやっておけばよかったかな。
そして、英文タイプライターは就職してから目にしたことがない。一文字ずつバタンと打ち込まれるのでタイプミスが許されない。医事コンピューターも昔ながらのモノクロ画面のものだった。
■今より格段に資格の種類が少ない時代だった
診療情報管理士、という資格もまだなく院外薬局もあとから出来たので調剤事務や介護事務、医師事務作業補助など現代の医療事務専門学校の方が資格の種類は充実しており、実践的に学ぶことも多く就職するときに選択肢が広がると思う。
医療事務は民間資格なので、国家資格の看護師のように必ず医療事務員に必要な資格ではない。
実際、私が働いていた医療機関で高校を卒業して資格取得せずに就職して40代になった今でもずっと20年以上同じ職場で働き続けている友人もいる。
しかし、転職する際
私にとっては資格を持っていることや専門学校を卒業したことは有利になってきたのも事実であった。
あの頃の仲間とは今でも年賀状のやりとりが続いている友人もいれば、まだ携帯電話やSNSが普及していない時代だったので卒業してから疎遠になってしまった友人もいる。
とても、かけがえのない経験だったことは勧めてくれた母親に今でも感謝している。
母は今は天国にいる。
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