先取りした季節感には過去の季節が混ざっている
今日の帰り、地下鉄の出口から地上に出た瞬間、
「あ、秋だ」
と感じた。
うまくは言えないのだけれど、「秋の空気」だった。
◇
ふとした瞬間に、次の季節の兆しを感じることがある。
それは風だったり、空の色だったり、花だったり。
私の好きなシンガーソングライター・篠原美也子さんの、『サクラサク』という歌に、こんな歌詞がある。
季節は風よりも光を先に変えて行く
つめたい頬に落ちる 陽射しは昨日よりあたたかい
初めてこの歌を聴いたとき、この歌詞に激しく共感した。
そう、風よりも光で、次の季節を感じるのだ!
◇
とても感覚的なことなので、これがこうだから、と説明するのがむずかしい。しいて言えば、太陽の高さや光のやわらかさの違いだろうか。
ただ言えるのは、自分の中にある「季節の印象や記憶」と一致したとき、その季節感が呼び起こされる気がする。
私の場合は、秋田の実家で過ごした、幼稚園から高専時代くらいまでの広範な時間軸の記憶の断片が、季節感を呼び起こす記憶のカギになっている。
その中でも、小学校くらいまでのが主だ。
しょっちゅう空を見上げていたのだろうか。
いろんな季節の、光の記憶がある。
そして、その記憶と紐連れに、かつての「その季節を感じている記憶」も呼び起こされる。
先取りした季節感には、過去の季節が混ざっている。
◇
季節感に記憶が関係するということは、人によって季節を感じるセンサーが異なっている、とも言える。
私が感じる光で季節を感じない人も、私が感じない匂いで季節を感じているのかもしれない。
そこに混ざっている季節はどんな季節だろうか。
私の感じる秋と、あなたの感じる秋は、たぶんきっと違うんだろうな。