見出し画像

クラスに咲く“連帯”の奇跡──中学生たちが紡ぐ幸せのレッスン──エミール・デュルケーム

新学期の憂うつ

「あー、学校行きたくない……」

中学二年生のミナは、布団の中でもごもごもと言った。せっかくの春休みが終わり、新学期が始まってからまだ二日しか経っていない。けれども、すでに彼女の心は不安でいっぱいだった。

クラス替えによって、仲の良かった友達とはほとんど離れてしまった。家の近所には同じクラスの子が少なく、登下校を一緒にすることもない。おまけに、同じクラスになった知らない子たちと打ち解ける勇気もなくて、「仲間外れになったらどうしよう」という思いが頭から離れないのだ。

「ミナ、朝ごはん食べないと遅刻するよ!」

母の声に背中を押され、仕方なく起き上がる。テーブルにはサンドイッチと温かいスープが用意されていた。ミナはぼんやりと頬張りながら、「学校でひとりぼっちだったら、どうしよう……」と、まだ気分は沈んだままだった。

社会科の授業

そんな憂うつな気分を抱えたまま、何とか教室にたどり着いたミナ。新しいクラスはまだぎこちなく、思い思いの席で雑談をしている。席に座ると、隣には同じく少し緊張ぎみの表情をした男子生徒・タロウがいた。

彼はクラスメイトに話しかけたいけれど、うまくタイミングがつかめずにいるようだった。ミナも同じ気持ちだったから、何となくタロウがこちらを見ていることに気づくと、ちょっとだけホッとした。

一時間目は社会科の授業。若い女性の先生、秋山先生が教壇に立った。

「えーっと、みなさんは新しいクラスになって、そろそろ慣れましたか? とはいえ、まだ緊張することもありますよね。今日はちょっと、面白いお話をしましょう。」

そう言うと、先生は黒板に「デュルケーム」と書いた。

「ここに名前を書きましたが、誰か見たことある人、いますか?」

教室はシーンとしている。もちろん誰も聞いたことがない。有名な社会学者だと先生は言うけれど、ほとんどの生徒が「しゃ、社会学……?」といった顔つきだった。

「デュルケームっていうフランスの学者さんが、こんなことを言ったんですよ。『人ってひとりでは生きていけない。社会とつながってはじめて安心できるし、幸せも感じられる』って。」

そこまで聞いて、ミナは「うんうん」と思わずうなずいてしまった。ひとりぼっちになるのが怖いのは、自分だけの弱さなのかと思っていたけれど、やっぱり人って誰しもそういう部分があるんだな……と感じたのだ。

「彼は『社会的連帯』(みんなでつながって支えあうこと) がとても大切だって説いたんです。もし、そのつながりが壊れちゃうと、自分の居場所がわからなくなったり、何を目指せばいいか見失ったりすることもある。これを『アノミー』と呼んだんですよ。」

授業内容は難しいような気もしたけれど、「人はひとりでは不安定になる」という言葉に、ミナは強く共感していた。

放課後のふとした会話

放課後、部活の仮入部期間で、校内は活気づいていた。ミナは特別入りたい部活もなく、図書室に向かおうとしていた。すると、後ろからタロウが声をかけてくる。

「ミ、ミナさん、だよね。ごめん、同じクラスになったのに全然しゃべれてなかったから、よかったらちょっと……」

タロウは引きつった笑顔を浮かべながら、言葉を続けた。

「秋山先生の授業、何か面白そうだったね。“社会的連帯”とか。僕、最初は『社会学ってなに』って思ったけど、デュルケームの話、ちょっと興味出てきたんだ。」

そう言いながらタロウは恥ずかしそうに笑う。ミナも思わず笑い返していた。

「わかる、私も。ちょっとホッとしたよ。人って、みんなつながりを求めてるんだなーって」

「だよね。新しいクラスで、一緒に頑張ろうか……?」

「うん、そうだね!」

会話はそれだけだったけれど、二人の心は少しだけ軽くなった。自分と同じように不安を感じている人がいるだけで、どこか安心できる。それこそが “連帯” の第一歩なのかもしれない――そんな気がした。

分業するクラス委員

翌日、学級委員や係を決める話し合いの時間がやってきた。いつもなら「やりたくないから誰かやって」という雰囲気が漂うところだが、今回は秋山先生が一工夫した。

「皆さん、先日お話しした『連帯』の話、覚えていますか? 実はデュルケームという学者さんは『分業』が進むことで、人はお互いに違った役割を果たしながらつながっていくと考えたんです。つまり、一人ひとりが違うからこそ成り立つ連帯ってあるんですね。」

先生の言葉に、クラスの面々は首をかしげながらも興味を示している。すると、秋山先生は続けた。

「だから今日は、皆さんの『得意』や『やってみたいこと』を聞いた上で、それに合わせた係決めをしてみましょう。クラスのためにも、そして自分のためにも『役割』を見つけると、毎日が少しだけ楽しくなるかもしれませんよ。」

最初は誰も手を挙げなかったが、やがて一人、二人と「掃除当番ならパパッとやるの得意」「装飾係でポスター描きたい」「放送係やってみたい」など、やりたいことを言い始める。

「そ、そんな風に決めていいんだ……」

ミナは少し驚きながら、心が軽くなるのを感じていた。いつもは「代表をやるのは責任重そう」「めんどくさいからイヤだ」と逃げ腰になってしまうのに、今回はみんながそれぞれの特技や希望を口にしているのが微笑ましく見える。

そのとき、タロウがひょいと挙手をした。

「ぼ、僕……まとめ役は苦手なんだけど、黒板にイラストを描くのが好きで……。もしも装飾係で、クラス行事の看板とか作っていいなら、やってみたい……」

すると周りの数人が「おおー、いいじゃん」と拍手した。タロウは照れくさそうに笑う。どうやら知らないところで、イラストが得意だったらしい。

ミナも思い切って手を挙げる。

「私……学級通信とか書いてみたいかも。文章作るのが好きだから……」

すると先生が笑顔でうなずいた。

「いいですね、通信係ってことにしましょう! クラス全体の情報をわかりやすくまとめる役割です。いろんな人の話を聞かなきゃいけないけど、きっと楽しいわよ。」

その日、クラスではそれぞれが希望した係を中心に、自然と分業が決まっていった。「私たちは、みんなでクラスを動かしているんだ」という実感が、教室に少しずつ芽生えていく。

文化祭へ向けての共同作業

六月になり、いよいよ文化祭の準備が始まった。ミナたちのクラスは「キラキラ☆フォトスポットを作ろう!」という企画を出し、教室を飾り付けてインスタ映え(?)ならぬ「ミナ中映え」スポットを用意することになった。

「あー、なんだか派手になりそうだなあ」

ため息をつく男子もいたが、タロウは「看板描き任せて!」と張り切っている。ミナは学級通信を作る係として、毎日どんな作業をしているかを取材して、メモをとったり写真を撮ったりしていた。

装飾が得意な生徒はビーズを縫い付けたり、色紙を切り抜いたり。音楽が得意な子はBGMを用意する計画を立てたり。お菓子作りが好きな子は、差し入れを作ってみんなを盛り上げたり。

文化祭の準備期間は忙しくて大変だったが、みんなが少しずつ役割を分担することで、「私がいないとダメかも」とか「ここで力を発揮できるかも」という確かな手応えを感じ始めていた。

一方、ミナとタロウは、放課後の残り時間に一緒に作業することも増え、自然と会話が弾むようになっている。

「お互いに違う役割をしているけど、なんだかクラスって楽しいね」

ミナがぼそっと言うと、タロウは力強くうなずいた。

「うん、デュルケームの言う『有機的連帯』ってやつかな、なんて思ってしまうよ。分業が進むっていうのは、逆に言えば一人ひとりの得意分野を生かせるってことなんだね。」

アノミーの影

文化祭は順調に準備が進んでいた。けれど、ある日の放課後、ミナは一人で帰り支度をしていた。タロウはすでに帰ったし、周りの友達も作業を終えて帰路についたらしい。

「あれ……私、いつの間にか一人になっちゃった?」

ミナはなんとなく心細くなる。せっかく分業で連帯を感じていたはずなのに、その日はいまいち気分が晴れない。もしかしたら、クラスの中にうまく溶け込めていないのでは――そんな不安がふと頭をよぎった。

「こういうのがデュルケームの言う『アノミー』なのかなあ。みんなとつながっているはずなのに、急に孤独を感じる……」

ミナは資料を片付けながらため息をついた。新しいクラスは確かに楽しい。でも、それでも時々感じる「居場所がないんじゃないか」という不安が完全には消えていない。その夜は少し気持ちが沈んだまま眠りについた。

大切なのは「対話」と「助け合い」

翌朝、少しだけ暗い気分で登校したミナ。すると、机の上に「昨日はどうしたの? 先に帰っちゃった?」というメモが置いてあった。タロウと、装飾係の友達の連名だ。

「私、みんなの役に立ててるか不安で……」と放課後につぶやくと、タロウは首を横に振った。

「そりゃあ、ささいな行き違いとか、一人になってしまう瞬間もあるよ。でも、ミナの学級通信があるから、文化祭の進捗状況がみんなに伝わりやすいわけだし。実は昨日、装飾係が『こんなに作業してるって、広めたいよね』って言ってたのもミナのおかげでさ。」

それを聞いて、ミナはドキッとした。誰も気づいてくれないと思っていたのは自分の思い込みだった。ちょっとした言葉がけや報告が足りなかっただけで、決して「必要とされていない」わけじゃなかったのだ。

「もし不安になったら、ひとりで抱え込まずに声をかけてほしい」

タロウは照れくさそうに言う。ミナは「ありがとう……」と静かに答えた。デュルケームが言うような社会的連帯は、完璧に一直線に進むものじゃない。ときには孤独を感じても、ちゃんとコミュニケーションをとれば再びつながりを実感できる――少しずつではあるが、そう学んでいるのかもしれない。

文化祭当日

いよいよ文化祭本番の日がやってきた。ミナたちのクラスの教室に入ると、そこにはキラキラした装飾に彩られたフォトスポットが作られていた。手描きの看板にはタロウの可愛いイラストが大きく描かれていて、訪れた他クラスの生徒や保護者が「すごいね!」と驚いている。

一方、ミナは入り口のところでクラスのパンフレットや学級通信を配っていた。そこには「こんなふうに準備を進めました」という写真やインタビュー記事が載っていて、やり遂げた仲間たちの笑顔やコメントがぎっしり。受け取った来場者が楽しそうに眺めている姿を見て、ミナも嬉しくなる。

教室の中は、役割こそバラバラだが、みんな活き活きとしている。張り切ってカメラを回すビデオ担当、BGMを流して雰囲気を盛り上げる音楽担当、飾りが落ちないように確認する装飾係……。まさに**“有機的連帯”** という言葉がぴったりだ。

「すごいね、私たち。中学生でもこんなに本格的にできるんだ。」

ミナがほほ笑むと、タロウも「うん、頑張ったかいがあったよ」と応える。二人とも体は疲れているはずだが、その疲労以上の充実感が心を満たしていた。

結び

文化祭が終わり、後片づけを終えたクラスメイトたちは、ホームルームで今日の感想を話し合った。みんなそれぞれ「失敗もあったけれど、終わってみれば楽しかった!」と口々に言う。

「みんなで作ったからこそ、最高の思い出ができたよね!」

そんな声が飛び交う中、秋山先生は最後にこう言った。

「実は、デュルケームっていう学者さんの“社会的連帯”の話、皆さんに少しでも体感してもらえたらいいなって思ってたんです。個性がバラバラだからこそ協力して、お互いを必要とし合う――それが『有機的連帯』なんです。皆さん、本当にいいチームでしたよ!」

クラスのみんなは、顔を見合わせて照れくさそうに笑う。でもその笑みからは、「ああ、自分は一人じゃないんだ」という安心感がにじみ出ている。

ミナは心の中で、小さくうなずいた。最初はクラスが替わって不安ばかりだったけれど、「社会学」なんて難しそうな言葉の裏に、人間関係の基本が隠されていたのだ。――お互いに役割を持ち、尊重し合い、ときどきつまずいても声をかけ合えば、そこに**“連帯”** が育まれる。
それは中学生の小さな教室のなかでも、充分に感じられる奇跡のようなものだった。

家に帰る途中、タロウと一緒にグラウンド脇を歩いていると、風が涼しく頬を撫でた。

「そういえば、デュルケームの話、もっと知りたくなっちゃったな。何か本を読んでみたいかも……」

ミナがぼそっと言うと、タロウは笑う。

「僕もそう思ってた。社会学っていうのは、大人になってからじゃなくても、今からでも役に立つんだね。みんなのつながりを発見する学問、みたいな感じでさ。」

二人で顔を見合わせ、声を出して笑う。
中学生の日常はまだまだ続くし、これから壁にぶつかることもたくさんあるだろう。だけど、“人はひとりでは生きられない” という当たり前の真実を、教室のみんなと一緒に形にしてみる――それだけで、なんだか未来が少しだけ明るく見えるのだった。

(終)


あとがき

本編に登場する「デュルケーム」は実在の社会学者ですが、物語ではあえて専門的な用語を最小限にし、日常生活の中で体感できるように描きました。実際のデュルケームは、「有機的連帯」「機械的連帯」「アノミー」「社会的事実」などの概念を通じて、人間が社会の中でどのように結びつき、どのように孤立しうるかを研究した人物です。

しかし中学生でも、「連帯が大事」と言われると不思議に思うことがあるでしょう。勉強も部活も、それぞれが自分の力で頑張るしかないと思いがち。ですが、ときどき思い出してみてください――人は誰しも、それぞれ違う「役割」や「得意」を持ち、その違いを活かすことこそが新しい発見につながるのです。そして、ときには不安や孤独を感じても、一歩踏み出して誰かに相談したり声をかけたりすれば、必ず連帯の芽は存在しているということ。

そんなメッセージを、物語の登場人物たちと一緒に、少しでも受け取ってもらえたなら嬉しいです。きっとデュルケームも、「みんなで協力しあって楽しんでいる中学生」の姿を見て喜んでくれることでしょう。

いいなと思ったら応援しよう!

藤川忠彦
よろしければ応援お願いします。 いただいたチップは、より良い文章を生成するためのコストに充てさせていただきます。