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思い出の地が与える未来への活力

幼少期の思い出の場所はどこですか?

と聞かれると、誰しもがどこか思い当たる場所があるのではないだろうか。
僕にとってのそれは、アラブ首長国連邦のアブダビである。
小学校の3年間を過ごした中東の都市。
そのアブダビを20年ぶりに訪れた。

アブダビの記憶はとにかく楽しかった記憶だ。だが、時間の経過と共にその記憶は曖昧になっていく。
「いつかまた行きたい」とはずっと思っていたが、それっぽい機会なんてなかなかないし、このまま一生来ないかもしれない。
「じゃあ行きたい気持がある今、思い切って行ってしまおう!」
そう思って訪問することを決めた。

結論から言おう。最高の旅となった。
街の景色、気温湿度、匂い、思い出の場所とともに、眠っていた過去の記憶が呼び覚まされた。

五感は全て覚えている。

それは何にも代え難い、貴重な体験だった。
記憶の中の幻想世界になっていたアブダビは、この世界にリアルに存在していたのだ。

そして面白いことに、原体験にアクセスすることで、自分が望むもののイメージや未来への活力も湧き上がってきた。

思い出の地を訪れたことによる一連の体験を伝えたくて、この投稿を書いていく。

・五感は全て覚えている。思い出の地を訪れることで、当時の記憶を鮮明に思い出すことができる。
・原体験を味わうことで、未来へのイメージや活力が湧き上がってくる

このnoteで伝えたいこと

20年ぶりにアブダビ国際空港に降り立つ

アブダビ日本人学校の記憶

アブダビ日本人学校は幼稚園~小学校~中学校までが一緒になった学校で、当時は全校生徒が50人もいなかったと思う。学年によってはひとりだけということも全然ある。ゆえに、複数学年が一緒になって授業を受けていた。
日本人会というコミュニティ色も強く、運動会や祭りなどの行事は、生徒だけでなく大人も一緒になってやる、そんな学校だった。

20年前に僕が通ったアブダビ日本人学校はもうそこにはない。
場所を変えて学校は続いている。
そのことは知っていた。知っていたがどうしてもその場所にもう一度行ってみたく、足を運んだ。

旧日本人学校があった場所。

そうそう、隣にはフレンチスクールがあって、向いにはインターナショナルスクールがあった。フレンチスクールが拡大して日本人学校のエリアまで覆っているのだな。

そうか、毎日のスクールバスはここに到着していたのか。
行き帰りのバスで友達とトランプをした記憶が蘇る。さらには校門から教室への道、夏祭り集会をした体育館や砂ぼこりの舞うグランドも。懐かしい。
翔鷹祭(文化祭)や日本人会の大運動会も。
学校という枠に収まらず、大人も子供も一緒になって祭りを企画したり、運動会をしたりするのが本当に楽しかった。
同時に、毎年誰かが日本に帰国してしまう悲しかった記憶も一緒に。
ぼんやりとした記憶が、輪郭を持って脳内にフラッシュバックされる。

現在のアブダビ日本人学校

現在のアブダビ日本人学校も訪問した。
事前アポを取りつけていなかったにも関わらず、事務員の方も校長先生も優しく対応をしてくださったことには本当に感謝している。

現在のアブダビ日本人学校

勿論校舎は初めて訪れる場所なのだが、所々に展示されている卒業制作の数々。そこに刻まれている名前は僕の知っている方々の名前があちこちと。
さらに極めつけは、文集が保管されていたことだ。
当時の自分が書いた文章に、20年ぶりに出会う。

看板は旧校舎から変わらない

まさか当時の自分が20年後のこんな未来を予想しているはずがない。
文章を見て、当時のことを思い出すと同時に、胸が締め付けられるような感覚になる。忘れていた記憶、景色、人との繋がりが思い出される。当時の自分が何を感じ、考えていたのかも。

当時の文集が残っていた

街の変遷

日本人学校以外にも、思い出のエリアをめぐってみた。
家族でよく行ったショッピングモールに、近所の公園、家の近くのシュワルマ屋。形は変われど、当時を思い出すには十分原型を留めていた。
そして当時の自宅ビルも。
ロビーに入った瞬間、懐かしい香水の匂いでいっぱいになる。

そうだ、この匂いだった

あれが何の匂いなのか、言葉で表現する術を僕は持ち合わせていない。
だが、当時と全く変わらない匂いであることだけは確信を持って言える。
身体は覚えているのだ。

アブダビに到着して空港から降り立った時の、全身を覆うモワァという感覚の時も同じ。高温多湿のこの空気感を身体は覚えている。

まさに五感でアブダビを感じる旅となった。

マリーナからの街並み
昔から変わらないモール
変わらず自宅前に残っていたシュワルマ屋
街の発展を感じる新しい建物
発展がすさまじい

ルーツを辿ることの意味

ルーツを辿ることに意味はあるのか?
それは分からない。過去に縛られては前に進めないという気もする。
だが、過去に縛られるのではない。過去を受け止め未来に繋げていくのだ。
その点で、とても意味のあることなのだ。

今の自分が在るのは、間違いなく過去の蓄積の産物。過去に感じた楽しかったことや悲しかったことや、ワクワクしたことや、刺激的だったことや悔しかったこと、全てが僕の中に反応として蓄積され、それを基に今を生き、未来を見据えている。

過去の最高体験のエッセンスを、将来にまた再現しようとしている。

その意味で、過去を見ることは未来を見ることととても近い営みと言えるのではないかと思う。

旅を経て感じていること

アブダビの記憶が懐かしさとともに蘇ると同時に、自分が求めているもの・創っていきたいもの・表現したいことが湧き上がってきた。

①遺していこう
アブダビ日本人学校は20年でその形を無くした。だが、文集は残っていたし、受け継がれているものを確かに感じることができた。
将来、何が遺り何が無くなるかなんて分からない。分からないけど、僕は遺していきたいと思った。それが意味があるものであれば、きっとそれは遺る。

②創りたいチーム・組織像
日本人学校が楽しかったのは、学年という壁を飛び越え、大人も子供も一緒になって運動会や祭やキャンプを創り上げ、全力で楽しんでいた。
同時に、アブダビという地で「日本人」というマイノリティ意識が結束を強めていたのだろう。
そんな、一体感、高い熱量、そして周囲を受け入れる優しさ、それらを併せ持ったようなチームをつくっていきたい。

③長く続くものをつくりたい
アブダビ日本人学校は楽しかった記憶だが、「日本帰国」によってそれは終了した。ゆえに「楽しいものはずっとは続かない」という思い込みがあるのかもしれない、という気づきがあった。
その裏返しとして、僕は「ずっと長く続くもの」を心の底から欲しがっているのだと思う。

④日本人としてのアイデンティティ
海外に行くことで、自分が日本人であることを強く意識した。
I'm from Japanと言えば、皆口を揃えてTOYOTA!HONDA!と言う。
日本自動車産業のグローバルへの影響力を実感するとともに、日本人として世界で戦っていきたいと感覚的に思った。

⑤世界はもっと必死である
これは本稿の本筋とはずれるが、海外は生きることや目の前に必死だなと思うシーンが多々あった。タクシー運転手が次の目的地までの送迎をどんどんofferしてきたり(さらには、他の客が取れたからやっぱ無理と約束を破られたり)、レストランの兄ちゃんは、僕のスマホでGoogle map上の口コミを自ら書き始めたり笑
これが世界。

最後に

短い旅だったが、アブダビは僕に色々な気づきをくれた。

思い出の場所にアクセスする

これは想像以上のすさまじい力を持っている。
普段の生活で意識して思い出せる記憶の、二段も三段も奥に秘められし扉に入ることができ、そこで得た感覚は、現在において人生を前に進むための強力なエネルギーとなる。

少し立ち止まって自分を見つめなおしたい
自分のルーツを深く知りたい

そんな方にはとても良い機会になるのではないかと思う。おすすめしたい。

成長した姿を見せにまたアブダビに帰ってきたい。

Corniche Beach
20年を振り返る場所となった
また成長報告に来よう

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