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「つながり」資本の功罪――タイザン5『タコピーの原罪』書評
現在、話題になっている『タコピーの原罪』の上巻を買って読んだ。勢いそのまま、ジャンプ+に掲載されている続きを読んで、うーむと唸った。めちゃくちゃ面白い。各所で話題になるのも納得のいくものだった。
あらすじは以下。ジャンプ+からの引用になる。(この記事を読んでいる人は大体作品を読んでいる人なので、わかるとは思うが。)
地球にハッピーを広めるため降り立ったハッピー星人タコピーは、笑わない少女しずかちゃんと出会う。どうやらその背景には学校のお友達とおうちの事情が関係しているようで…。無垢なタコピーが知るざらついた現実とは!?衝撃のヒューマンドラマ、ここに開幕!
本作の主な登場人物は一匹と三人。ハッピー星人の「んうえいぬkf」、通称「タコピー」。タコピーはみんなをハッピーにするためにハッピー星から来た。彼はハッピー道具と呼ばれる特別な力がある道具を使って、人間をハッピーにしようと奔走する。
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このタコピーを助けたのが、「久世しずか」こと「しずかちゃん」という本作の登場人物になる。彼女の父親はすでに家から出ていってしまっており、母親と二人で暮らす。父は別の家族を作っており、母親はいわゆる夜の仕事をしている女性だ。愛犬だけが心の拠り所であり、母親からはネグレクトされていると言ってよい。タコピーは助けたお礼にしずかちゃんをハッピーにさせようとする。
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そんなしずかちゃんは「雲母坂まりな」=「まりなちゃん」から凄惨ないじめを受けている。しかし、このまりなちゃんも実は母親からのDV を受けている女の子なのだ。その原因は父親のキャバクラ通いによるもので、どうやらその相手がしずかちゃんの母親である。
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またもう一人の登場人物が、「東潤也」こと「東くん」だ。彼は真面目な生徒であり、いじめられているしずかちゃんに手を差し伸べようとする。しかし、実は彼自身も家族が病院経営を行う一家で、それを継ぐ跡取りとして母親からの過度な期待と不出来なことによる失望を受けている。また加えてなんでもできる兄へのコンプレックスも同時に持っている。
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本作はこの三者と一匹が話の中心となっており、見ても分かるように、単純な物語ではない。だからこそ、様々な考察がなされているということも納得のいく作品だった。
また作風面でも「かわいさ」と「エグさ」が混在しており、現在の様々なものがごちゃ混ぜになっているネット世代に刺さる要因にもなっているだろう。(そのあたりに関しては『ポプテピピック』や「ちいかわ」、「P丸様」などとも共通する部分がある気もする)
さて、本作の考察で面白かったのは下の窓際三等兵さんの批評だ。
昭和と令和の対比。本作は秘密道具を出す点で『ドラえもん』との類似が見られるが、それは高度経済成長とそれがなくなった現在の状況を浮き彫りにしたものだ。そこに現代の隠された貧困の形を指摘していた。
かつてのSF作品は社会の「夢」を表象していた側面がある。科学が人々の生活を明るい方向に導いていく。『ドラえもん』はまさに科学の発展的・肯定的側面によるものだ。高度経済成長期の科学の夢を潜在的に描いている。だからこそ『タコピーの原罪』で描かれるハッピー道具が本質的な解決を行わないということを、日本の経済面の変調の象徴として見るのは間違っていないだろう。
ただ、この書評は非常に面白いものなのだが、「貧困」に焦点をあてて終わっていた。もちろん、間違いなく「貧困」という問題もある。日本のディストピア的状況は経済的な失墜によるものは大きい。しかし加えるならば「貧困」ゆえに現代は別の指標を重要視していった社会になっている。それが「つながり」だ。
二〇〇〇年代後半から現在にかけて、物質的豊かさの脱却によってどのようなものが重要になっていたのかというと、「コミュニティ」である。
例えば、稲葉陽二『ソーシャル・キャピタル入門 孤立から絆へ』(二〇一一年)では二〇一一年の震災以降、日本では社会関係資本=ソーシャル・キャピタルがより重要視されるようになったと言われる。わかりやすく書くなら「人とは違うことが大事」や「お金が大事」という価値から「周囲との絆って大事だよね」という価値が重要になってくるということだ。(本書では経済格差が社会関係資本を壊す相関関係があるという議論も書かれている。)
また山崎亮『コミュニティ・デザインの時代 自分たちで「まち」をつくる』(二〇一二年)は地方創生のために何が必要か、という議論がなされていたが、やはり焦点はソーシャル・キャピタルだった。「モノ」という価値指標から「関係」の価値指標へ。一〇年代は一つの側面で言うならば「関係資本の時代」であったと言えるだろう。
現在の価値指標は「つながり」になっている。「貧困」であっても、「モノ」に乏しくても、「つながり」があれば生きていける。それが震災後の在り方として日本に蔓延した雰囲気ではなかったか。だから個よりも集団を重要視していく。しかし、そこから本質的にあぶれてしまった者たちはどうなるのだろうか。
『タコピーの原罪』の三人の登場人物は一番身近な「関係資本」である家族から見放されてしまっている。そのため精神的に歪なものを抱えている。家族や学校などの「つながり」を絶たれてしまった場合、彼ら、彼女らに待っているのは絶望に他ならない。
もちろん、本作は児童虐待の側面からも考えることは可能だが、彼ら/彼女らにとって変えられない外部性として家族は存在している。そこをどうにかしようと本作はしない。そんな中で、本書が焦点化するのは別の「関係」をどう作り出すか、ということになる。
第6話でしずかちゃん、東くんとタコピーが幸せそうに笑っているシーンがあるが、それはやはり一つの関係を構築したからだ。第14話では東くんが三人で遊べて一緒に過ごしたことが「楽しかった」と振り返っており、その時は学校に行くことが楽しかったとも述べている。
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では、本作はただ「友達を作ろう! 」みたいなお題目で終わっているのかというとそうではない。ここでポイントとなるのが、関係性を構築していた存在がタコピーという異星人だということだ。
タコピーの価値観ははっきりいって異質だ。その存在は(対人関係的にも、秘密道具を使って物理的にも)浮いており、我々のものの見方を(タコだけど)異化する。またタコピー自身も人間のことがわからない時がある。それでもタコピーは周囲をハッピーにしたいという気持ちがある。
当初タコピーはその人をハッピーにするためや問題の解決のために、その意味もよく分からず「殺す」ことを行おうともする。だが、それが本質的な解決ではないということに気づく。終盤では、タコピー自身異質な他者を無自覚に排除するのではなく、「おはなししたいことがあるんだっピ」と述べていく。彼はわからないなりに人間たちと話をしようとするのだ。一途に彼自身いくら傷つけられてもその姿勢を崩さない。
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「つながり」資本が価値指標となる中で、そこから本質的にあぶれてしまった人たちはどのように生きればいいのか。そしてそこからはみ出してしまった異質な他者である存在を受け入れることができるのか。タコピーが行うのはそれでも対話を行うということであり、相手を受け入れるということだった。
敷衍させるのであれば、目先を見れば排外主義的状況やSNSでの炎上があり、そしてもっと広い目でみればロシアとウクライナの戦争がパラレルで起きているこの歪な世界の中で、無垢なタコピーの訴えがどれほど大きいものか、計り知れない。
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