【書評】『ジェネレーション・レフト』(キア・ミルバーン著、斎藤幸平監訳、2021)を読んで。
▮ おおよその内容
Z世代(1990年代後半生まれ~)が主役となる21世紀の世界を知るための必読書というキャッチフレーズ。
「なぜいま、世界の若者たちは「左傾化」しているのか?」という問いに対して、1989年の東西冷戦構造の終結による自由主義の進展、それに対する一つの答えである2008年のサブプライムローン=リーマンショックと、2011年に世界同時多発で生じた多様性を求める出来事を経て、新自由主義からの転換の流れをまとめています。
この本では、まず「世代」というものに着目しています。なぜ「世代」が生まれるのか。そして「出来事」がそれを引き起こすと。カール・マンハイムの言葉を引用して、「社会的および精神的変貌の速度がもろもろの価値態度をあまりに急速に変化させる結果、伝統的な経験・思考および表現形式がそれに対応して、続けて潜在的な自己調整を行うことが、もはやえきないほどになった場合にのみに世代間断絶は生じると。2008年のショックと2011年の「出来事」を通じて、新しい世代が形成されたということです。
世界では、新自由主義的な施策よりも社会民主主義的な施策を若者が望んでいます。その背景には、「2008年の金融危機は、私的所有では私たちの未来を保証するのに十分ではないことを明らかにした。それが最も必要な時に財産所有は価値を失ったのである」と述べています。新しい価値観を持った「ジェネレーション・レフト」の勃興はすぐさま下火になりますが、その後、政治的文脈と結びつく中で新しい動きが出始めています。英国労働党や米国民主党(サンダース等)が若者から支持されるなど。
▮ 日本における「ジェネレーション・レフト」
日本でも2010年代後半からSDGsやESGなどの非財務指標に対する注目が高まり、2020年代に入ってからその傾向が強くなってきています。
しかし、日本では米国や英国、多くのヨーロッパ諸国に見られるような左傾化はそれほど見られません。(これから起きるのかもしれませんが)
それは、日本では2011年に東日本大震災が起き、リーマンショック後の「年越し派遣村」に見られた動きが、「震災復興」というある種の国民的運動へシフトしたことや、国民から期待されて政権奪取した民主党への失望により、「右傾化」に流れてしまったからではないかと考えています。
2010年代半ばから後半にかけて日本経済は、前例のない金融緩和と大規模な財政支出により経済は下支えされてきたもののピケティがいうように、「r(資本収益率)>g(経済成長率)」という社会構図は一層進展したように思われます。確かに数字上は格差はそこまで広がっていないとはいえ、世代間での生活基盤のレジリエンスの格差が生じたように私は思います。それがコロナ禍によって、レジリエンスが低い若い世代の雇用喪失につながって、いままさに世代間の経済格差は広がっているように考えています。
大学生も、多くの人が「若者期」を迎えることなく、奨学金などの返済に追われたり、資本主義システムの中で生活するようになっています。それは一概に悪いことではないかもしれませんが、「レント世代」でもある「Z世代」にとって、生活基盤の確保を求める声は高まっているように感じられます。少なくとも、価値観の変容は起きているのは確実だと思います。財務指標、つまり売上利益だけを見て就職活動をする学生はあまりいません。その会社がどれくらい社会貢献しているのか、従業員とともに経営・事業を行っているのか、ヘルシーな職場か、という視点で見ています。左傾化とまでは言えないと思いますが、従来の経済成長重視でなくなっているのは確実です。
▮ 就職氷河期世代問題について考える
また私が思ったのは、「就職氷河期世代」についてです。
「就職氷河期世代」とは、俯瞰してみると、東西イデオロギー対立が解消し自由主義以外に選択肢がない歴史の終わりを迎えて、一気に加速した雇用流動化や金融ビッグバンの影響により、一度、非正規転落したら、再度戻ることができず格差が固定化する要素を生み出したと思います。
もちろんバブル経済の崩壊という「出来事」があり、それにより社会的なコンセンサスが不安定化したことも一因です。しかし単なる不景気であったならば、社会や国家の再分配機能や社会保障機能が働いて、格差が固定化することはなかったと思います。そう考えると、やはり東西イデオロギー対立の終焉による、新自由主義的な空気が支配していたのだろうと思います。
私が社会に出たのが就職氷河期の真っただ中にあった2001年で、なんとかしたいと思い起業したのが2003年。当時、ひとつの希望的な観測がありました。「2007年問題」です。団塊世代が一斉退職する2007年に労働市場では人手不足となり、就職氷河期世代を含む若者の雇用機会が生まれるという考え方でした。しかし、「2007年問題」は起きませんでした。団塊世代の年金受給年齢の引き上げを前提とした定年延長が進められたからです。若者の雇用は生み出されないまま、2008年にリーマンショック、そして2011年に東日本大震災が起き、そうこうしているうちに、就職氷河期世代は30代半ばを迎え、キャリア形成の機会を失いました。
私は2011年に「みんなの党」で地方議員に当選しました。「みんなの党」はいわゆる「アベノミクス」の三本の矢の考え方の元となる政策を提唱していました。当時の私は、経済成長によってしか産業活性化、ひいては新たな雇用を生み出せず、じり貧になっていかざるを得ないと考えていましたので、新自由主義に傾倒し、推進する立場で政治活動を行ってきました。ですが、それでは新たな雇用を生み出すことはできませんでした。非正規や無業者のキャリア形成を進めるためには、違ったアプローチが必要だったのです。
▮ 就職氷河期世代とZ世代の関係性から
Z世代の親にあたる世代は「就職氷河期世代」です。
Z世代は、新自由主義経済の影響をもろに受けた就職氷河期世代の悲哀を、そして後姿をみつめながら、幼少期を過ごし人格形成してきたと思います。2008年のリーマンショック時はZ世代はまだ若かったでしょう。2011年の東日本大震災もしかり。
就職氷河期世代の後姿を見て、「これまでの施策が正しかった」と思う人は相対的に減っているのではないかと思います。確かに「がんばれば報われる社会」というのは、非常に重要だと思うのですが、それが行き過ぎたというか、再チャレンジさえ許容しない社会に対して疑問を抱いているはずです。
SDGsやESGが唱えられているものの、Z世代の疑問や懸念は十分に解消されていないと思います。日本経済新聞はSDGSやESGが大切と言いながら、連日のように社説で「選挙で経済成長に触れる政党がない」と批判を繰り返しています。また、これからの国の政治のかじ取りを担う候補者たちがカーボン無視で選挙カーを乗り回していたり、旧態依然とした選挙活動をしているのを横目で見ながら、時が来る(本では「過剰の瞬間」と言っている)のをじと待っているように思うのです。
就職氷河期世代の悲哀は、Z世代を奮い立たせるための起爆剤だとしたら皮肉でしかありません。しかし、経済政策のはざまに挟まった就職氷河期世代支援に取り組むことが、「新しい資本主義」の第一歩目となるならば、私はこれを支持したいと思っています。
「新しい資本主義」がどのようなものであるか、まだ実態は見えていません。議論のための萌芽段階であるとは思います。単なる分配ではなく、持続可能な分配を導くためのディスカッションをいま、進めてほしいと思います。この総選挙で。
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◇藤井 哲也(ふじい・てつや)
株式会社パブリックX 代表取締役
1978年10月生まれ、滋賀県大津市出身の43歳。2003年に急増していたフリーター・ニートなどの雇用労政問題に取り組むべく創業。人材紹介、求人サイト運営、職業訓練校運営、人事組織コンサルティングや国・自治体の就労支援事業の受託運営等に取り組む。2011年に政治行政領域に活動の幅を広げ、地方議員として地方の産業・労働政策の企画立案などに取り組む。東京での政策ロビイング活動や地方自治体の政策立案コンサルティングを経て、2020年に京都で第二創業。京都大学公共政策大学院修了(MPP)。日本労務学会所属。議会マニフェスト大賞グランプリ受賞。
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