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【書評】升味準之輔著「日本政治史」を読む。

大学生の時に買った本で、あまりの分厚さと読みにくさ(原資料の多さ)から、ずっと棚にしまってあった政治学者の升味準之輔氏(1926年4月1日 - 2010年8月13日。日本政治学会元理事長)の御本「日本政治史」を2カ月近くかけて読み切りました。

▮ 第1巻 幕末維新、明治国家の成立

第1巻の序章で、ペリー来航に至るまでの江戸時代の初期から1953年までについてをコンパクトにまとめられており、江戸時代の流れをサッと掴むことができます。この前史を理解した上で、幕末期から明治前半までが第1巻。ちなみに第1巻の半ばで西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允の三傑が相次いで亡くなり、そこから伊藤博文や山縣有朋らによる大日本帝国憲法の制定や帝国議会、府県会の設置などがまとめられています。当時の政治家の日記や文献をベースに書かれており、特に第1巻は読むの時間を要します。西郷隆盛は本当に西南戦争をしたくなかったんだろうなということや、板垣退助らによる自由党結成や資金難による離散を見るにつけ、選挙権の偉大さなどが分かります。

▮ 第2巻 藩閥支配、政党政治

薩長を中心とした藩閥政治や、土肥出身者らによる自由民権運動、そして政党政治の成立と発展について書かれています。伊藤博文や山縣有朋らのやりとり、桂太郎と西園寺公望による桂園政治らは内幕が細かくかかれていて、臨場感があり面白い。大隈重信の復権や、西園寺公望の頼りなさなども感じられる。伊藤博文が亡くなった後は、山縣有朋を中心に政治が動き、「あのオッサンどうにかして!」という桂や西園寺、寺内正毅らの声が現代に蘇ってきます。かの山縣有朋もなんとかしたいという想いだったのだと文献から伺えます。政党政治は伊藤博文が立党した立憲政友会。そして桂太郎らが創立した立憲同志会を軸に政局が展開。筆頭元勲である伊藤のクレイジーさ(当時では)や、幹事長級で支えた西園寺、そのあとを継いだ原敬らの活躍も目を見張ります。
藩閥の力学が薄まる第2巻後半に、中国やロシア・ソビエト連邦をめぐるやりとりの中で、軍部の独断が見え始めます。また尾崎行雄や大野伴睦の回想録が出てくるなど、ようやく戦後政治でも名前が出てくる政治家が顔を出し始めます。第2巻の最後に、山縣、松方正義、原敬が相次いで没します。ここから政党政治が凋落し、激動の時代に入ります。

▮ 第3巻 政党の凋落、総力戦体制

原敬が暗殺されて終わった第2巻。残された「最後の元老」である西園寺公望の戦いがこの第3巻の前半を占めます。政友会の分裂、西園寺による憲政の常道です。「憲政の常道」は、いまでは馴染みがないのですが、当時の大日本帝国は、元老から奏薦された人物を天皇陛下が総理大臣として組閣大命していましたので、議会制民主主義である国会議員同士の首相公選ではありませんでした。これは国民大衆が選ぶ国会議員ではなく、天皇陛下を元首とした立憲政治を進める上で明治維新の中心人物たちを中心とした藩閥政治の名残だと言えます。とはいえ、西園寺公望による「憲政の常道」は、帝国議会第一党政党から総理大臣を輩出し、失政による辞職の場合は第2党から総理を出し解散総選挙。暗殺などによる総理交代の場合は、引き続き比較第1党から総理を出すという考え方です。ある程度、うまくこの制度が運用されていたことが分かります。しかし、帷幄奏上権や統帥権干犯などを主張して軍部が台頭しだすと、憲政の常道も機能しなくなってきます。
国家改造運動と満州事変、2・26事件、盧溝橋事件から泥沼の日中戦争、太平洋戦争と敗戦までは、政党政治は凋落し総力戦体制が敷かれます。国家改造運動や軍部青年将校の蹶起は、藩閥や元老・重臣・財閥に対する閉塞感や反撥から生じたものだったと理解したのですが、さらに遡れば明治初期の権力闘争や伊藤・山縣の議会や政党に対する考え方の妥協から生み出されたものに加え、ロシアの圧力や中国大陸情勢、さらには関東軍の独走というか妄想が生み出したものだったんだと総合的に理解できました。
2・26事件後に西園寺が近衛文麿を奏薦したときに近衛が受諾していたらや、大戦直前の海相が山本五十六であったならば、という歴史のifを西園寺や近衛自身が回想しているのを見て、当時の空気を感じることができます。また、いともあっけなく政党政治が崩壊し翼賛政治、全体主義に移行したのも見て、ある種の危機感を覚えます。

▮ 第4巻 占領改革、自民党支配

玉音放送と近衛文麿の回顧録で終わった第3巻に続く第4巻では戦後日本の復興と高度経済成長、そして成熟期における政治の舞台裏が丁寧に書かれています。日本国憲法の成立過程や、自由党と民主党の合流、労働運動や社会党の流れ、安保闘争、池田・佐藤・田中・三木・福田・大平・鈴木・中曽根に各内閣の政策や党内状況などを改めて学びました。
戦前と戦後は、大きな分断があります。公職追放によって政治家がガラッと入れ替わります。近衛の自殺の背景、吉田茂の実像。重光葵の動き鳩山一郎、三木武吉らの動向も興味深いです。岸信介は第3巻から出ていましたが、そういえば佐藤栄作は岸信介の弟だったことをこの本を読んで思い出しました。その友人でありライバルであった池田勇人から政治は経済を中心としたものに移ります。田中角栄にとって、お金が権力闘争の武器であった反面、お金で負の財産を多く背負ったのも田中角栄でした。単年度財政の弊害はいまも叫ばれているものの、当時は「単年度均衡の考え方から脱して、長期的な観点に立った財政の均衡を重視」という積極財政の言い訳に使われ、国家財政だけではなく自民党財政にも多大な打撃を与えていました。
最終節は、売上税騒動による田中・中曽根政治の終幕とともに、竹下登・宮澤喜一・安倍晋太郎といった政治家が歴史の表舞台に出てきます。そして総評と同盟が合流し、日本労働組合総連合会(連合)が生まれるところで終わっています。著者は最後に「弱き者に幸いあれ。」と結んでいます。大変印象深いです。淡々と江戸時代から1980年代を実証的に整理してきて、唯一の著者のメッセージがこれですからね。

▮ 「日本政治史」を読んで


本著は中曽根内閣の終わりまでを書いていますが、この後、ソ連は崩壊しイデオロギー対立軸をなくした日本政治は、「改革」を競う季節へ突入します。「改革」の30年間で日本はどのように改革されてきたのか。今一度、振り返らねばなりません。おりしも、今回成立した新しい内閣では所信表明演説において「私が目指すのは成長と分配の好循環による血の通った成長だ。」と述べ、小泉純一郎内閣からの新自由主義と距離を置いています。

「日本政治史」は大著であり、読むのに時間と根気が必要です。しかし通読して初めて日本の近代から現代の歴史を理解できる部分もあると思います。とりわけ、1930年代から戦争に突入する時期や、戦後の労働争議・安保闘争などの実態を学ぶには適していると思います。

また、どの時代の政治家も「後継者不足」「コマ不足」を嘆いているのは印象的でした。西園寺公望にとって原敬は次の時代に必要な人材だったと思いますが、原亡き後、政党政治は失墜します。田中内閣が倒れ椎名裁定で三木内閣ができた時もです。政治活動におけるお金の重要性、位置づけも感慨深いものがあります。私も地方議員をやっていたので分かるのですが、思っている以上に政治活動にはお金が要ります。私なんかの場合は、チラシの印刷や配布もほぼ全て自費でやっていたので真面目に政治活動をすればするほどお金が必要になります。当時はいま以上にお金が必要だったのだろうと思います。明治前半にお金がなくて板垣退助らの活動が停滞したことや、お金があったため田中角栄はのし上がれたことなどです。

著者は、左にも右にも寄らず、中道の政治会社だったと私は感じています。先にも述べたように、文中唯一の著者のメッセージとして、一番最後に「弱き者に幸いあれ。」と結んでいることは、著者の一番いいたいことなんだろうと思います。私自身も政治は弱き者のためにあるべきだと考えています。民主主義というのは、多数決で決まることはルールとしてあるのでしょうけど、弱き人の声、声小さき人の声を、公議の場で議論することだと思います。由利公正原案、木戸孝允ら提案の五箇条の御誓文の第一に「広く会議を興し、万機公論に決すべし。」とあります。国会でも、選挙でも、議論と行動が大切だと身に沁みながら読んでいました。

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◇藤井 哲也(ふじい・てつや)
株式会社パブリックX 代表取締役/一般社団法人官民共創未来コンソーシアム事務局長
1978年10月生まれ、滋賀県大津市出身の42歳。2003年に急増していたフリーター・ニートなどの雇用労政問題に取り組むべく創業。人材紹介、求人サイト運営、職業訓練校運営、人事組織コンサルティングや国・自治体の就労支援事業の受託運営等に取り組む。2011年に政治行政領域に活動の幅を広げ、地方議員として地方の産業・労働政策の企画立案などに取り組む。東京での政策ロビイング活動や地方自治体の政策立案コンサルティングを経て、2020年に京都で第二創業。京都大学公共政策大学院修了(MPP)。日本労務学会所属。議会マニフェスト大賞グランプリ受賞。国際Aマッチ通算0試合出場0得点。1メートル68、66キロ。利き足は右。

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