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乳がんと心*高い治療費~無くなるこわさ
乳がんになり治療費やその他諸々費用がかかることは、私の心のハードルの一つでした。
高額療養費制度で、毎月いくら以上は払わなくて良いというのはありましたが、その上限に達するまでの金額は払うわけです。私の乳がんのタイプ(Her2陽性)に効く抗がん剤はその当時とりわけ高額で、しかも長期間。毎月まいつき、上限いっぱいの治療費を払うわけです。
そのほか、脱毛してしまうのでウィッグ。私にとって外見は大事でした。ただウィッグをつけていれば良いわけではありません。おしゃれしたい。すてきでありたい。
また、夫や子供たちに食事が作れない時、自分が全然食べられなくなってしまって、だけどこれを食べると倦怠感が和らぎそうと思う食べ物。
そういった病院で掛からないものも治療費なのです。
でも、私は払えたのです。それはそれまで仕事をしていたから。休職をしたけど、休職手当てが何割かあったから。貯金があったから。そこまでギリギリの生活ではなかったから。
そのような中、私がハードルだと感じていたことは結局なんなのか?
「無くなってしまう感覚」
これなのです。
「お金は保育園児だった子供たちの将来のためのもの」
それが無くなってしまう感覚。
それは「お金」ではなく「幸せ」なのです。
「幸せがなくなってしまう感覚」なのです。
しかし、その感覚は将来そうなるとは限らず予想でしかないのです。現に5年後立った今、「幸せ」は無くなってはいません。
「子供たちのために」を少し緩めて、また「自分のために」をとことん行った半ば修行のような時間でした。