僕と父と障害と

僕は主に絵を描いて生きることを志しています。暗めの絵を描きます。
ここでは広汎性発達障害、強迫性障害の僕について話していきます。
(※今回は僕の障害の話は出てこないかもしれません)


僕は朝起きられず、バイトとも両立出来なくなり短大をやめました。後に「裏切り」と言われることになります。
僕の短大一年生分の借金を父は背負いました。
やめた短大は最寄りの駅から8個目の駅で40分ほど時間がかかり、定期も切れたこともあって僕はすぐにバイトもやめてしました。

それから僕が働くまで時間があったのですが、「引きこもったら家を燃やす」と言われていたこともあり、母からすすめられるがままにオープンする予定のパチンコ屋さんで働くことにしました。元からギャンブルをまだ知らなかったこともありますが、緊張から避けていたスロットの目押しを強制されるようになり、そこも半年でやめてしまいました。
ですがあとで聞いた話によると、父は僕がパチンコ屋さんで働くと自分から言い出したときに誇らしいと思ったそうです。すすめたのは母なのですが。このエピソードからもわかるように、父は僕にまったく詳しくないのに知っているフリをする癖があるようでした。「父親」なんだから子どものことは知っているに決まっているという設定があったんでしょうね。

そのつぎは母の職場で働くようになりました。夜勤でした。そこも理由があって飛び出して行ってしまったのですが、その話は母に関わることなのでやめておきます。
そういえばこのときも働いて帰ってお風呂に入って寝ずに自動車学校に通っていました。なのでそれも仕事をやめた理由です。
その仕事をしているときから特に強迫性障害がひどくなっていました。不潔、縁起、数唱(呪文など)、不完全恐怖など詳しくはわかりませんが自分が自分に厳しくなりすぎていて苦痛でした。

先に話しておくと、そこからいまでも僕は働いてません。
というか正社員だったことがないのでずっと職歴がないということになります。
いまは作業所(就労支援B型事業所)で「働いている」ということばは使いますが、もらえるお金は給料とは言わずに工賃と言いますし、雇用契約も結ばれていないので「利用している」だけということになります。

そこから働く場所を拡げるために車を持ったらどうかという話を父にされます。中古車で困る母の姿を見ていたので車のことがまったくわからない僕は新車を買ってもらいました。仕事をしていつでもいくらでもいいからお金を返すという約束で。結論からいうと僕はこの借金を返していません。父からはこれも「裏切り」と取られてしまいました。
面接自体は受けたのですがはじめに受けた面接官が嫌な感じのひとでこわくなってしまいぎりぎり合格した仕事を断りました。理由はほかにもあって、職場まで車で通うのを困難に思っていました。車に乗るには完璧な状態でお風呂に入らなければならない、洗濯をしたきれいな服を着るなど身支度して、手を綺麗な状態に保ち(汚いものをぜったいに触らない)、ひとを轢かずに目的地に辿り着かないといけない。それも毎日。そう考えると泣いてしまいました。
その後病院に通い、その日のうちに強迫性障害が発覚しました。数年後には発達障害も発覚します。
ですが、父は何も理解してくれませんでした。僕と父の話すところを見て聞いたひとには父が僕のことを理解しているように見えるかもしれませんが、毎回同行してもらうとおわかりいただけると思います。父は僕の障害を覚えようともしない。僕の不具合には興味がないのです。

あとで書き足すかもしれません。
とりあえず載せておきます。

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