僕と父
僕は主に絵を描いて生きることを志しています。暗めの絵を描きます。
ここでは広汎性発達障害、強迫性障害の僕について話していきます。
(※今回は僕の障害の話は出てこないかもしれません)
僕が幼いころの父は休日にはよく外に遊びに連れて行ってくれる良い父のイメージがあります。
ホタルが出る時期にはホタルを見に行き、夏にはカブトムシを捕りに出かけたり海に泳ぎに行ったり、父の趣味である釣りを教えてくれた覚えもあります。なるべくお金のかからない遊びだったようでしたが幼いときの僕は無邪気でした。ただただ楽しかったです。
そのころの僕は怒るか寝ている母よりもそんな父が好きだったように思います。
僕が小学二年生のときくらいに父は単身赴任で海外に行きました。そこからどことなく僕と父はよそよそしくなりました。父からは変わりなかったかもしれませんが、僕はもとから何を話していたのか記憶にありませんが、父と話すのが恥ずかしくなる年齢になったようです。
それから思春期や祖母の入院などで父からどんどんと離れていくようになりました。
お風呂に入っているときに扉を開けられ嫌がる、ごはんを食べる姿を見られたくないなどそこからは父という存在を意識して苦手だった覚えがあります。
父は父が社会人になったときから働いていた会社を自主的にやめました。そこから新しく仕事に就くまでの父は、いつも何かにイライラして焦っていて機嫌が悪い。そんな感じでした。ときどき怒りはしてもそれまでは嫌いじゃなかったんだなと気づくほど嫌いになっていくのがわかりました。
思い出してみれば父と母は若くに結婚したからなのかことばが足りませんでした。僕に何かをさせようとするにも理由を聞くと苛つかれていたように思います。
理由を教えてもらったことがないかもしれません。それを知っていたら何かが変わっていたのかも・・・なんて今更思います。
例えば、朝起きて学校に行くのはなぜなのか。勉強をするのはなぜなのか。親に対してお前と言ってはいけないのはなぜなのか。なぜ先に生まれたヒトを尊敬しなければならないのか。小さいころの僕に納得いくまで教えてもらいたかったです。
それまで門限すらなかった僕の家ですが、父から急に「勉強しろ」と言われました。理由はわかりませんでしたが、成績が落ちたことが理由だといまの僕は思います。ほかにも「家族が揃ってからごはんを食べはじめる」、「ごはん中は正座(新しい部屋はフローリングです)」疑問になる内容があり僕は父に反抗するようになりました。正しくは嫌なことを嫌と言うことが「反抗」になってしまう年齢になりました。それはしつけ上しょうがないのかもしれませんが、それ以外に理不尽ともとれるような「命令」をされるようになりました。週末になると父方の祖父母の家に行くことが多かった(ふだんは母方の祖父と暮らしていました)のですが、「行きたくない」と言っただけで突然頭を殴られました。そのときの父はお酒に酔っていました。
実はその前に父方の祖父母など親戚が集まる日にお酒に酔った親戚たちがケンカをしてしまったり、酔った父方の祖父が僕に対して「根暗」や「引きこもり」など言ったりすることがあり、世の中にはお酒に酔うと酒癖が悪いひとがいて、それが父方のヒトたちなのだということはなんとなくわかっていたように思います。
話は変わりますが高校三年生になり、推薦で短大に入ることが決まった僕は怒っていました。
僕が通おうとしていた短大ですが、僕が通う高校が短大付属だったので、全員推薦で受かるという話でした。高校時代だけ勉強していた僕はいままでの時間って無駄だったんだと思ってしまったのです。
それから僕は学校に行くのを気分しだいにしました。すると「学校に行け」と父に言われる、僕が学校に毎日通う約束をするまで父や母、ときどき妹に怒られそれを主に僕が黙って聞くだけの時間、通称「家族会議」が行われました。父としては「話し合い」のつもりだったのでしょうが僕からしたらただの脅しでした。
すみません。
長くなってきたので分割します。
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