週末はコンテンポラリーダンスの舞台のお手伝いに。 本当にダンサーの皆さんのパフォーマンスは素晴らしかった。 命を燃やしてるなぁ!という感覚。 音楽を聴取した際の身体性をテーマに研究しているご縁から繋がったコンテンポラリーダンスの世界。 昨年はコロナ禍で,“部外者がフィールド調査に赴く”ことがなかなか難しい中,自分もコンテンポラリーダンスを習い始めるということを考えついた。突拍子もないことを考えつくもんだと思ったが,主観と客観を交錯する中で見えてきた課題も多い。 そして今回
仕事にせよ音楽活動にせよ何かのプロジェクトをするにせよ,結局誰とやるかっていうことが重要なように思う。 作業的なものではなくクリエイティブなことが必要なときなんか顕著で,一緒に企画している方とのやり取りの中で,1出した種が2・・3・・10・・・100に膨らむことがある。 そういう場に身を置いて楽しいことをしたいし,自分も誰かにとってそう思ってもらえる存在でありたい。 適度な緊張感や張り合いもあるし,認められたら嬉しくて,それが麻薬的にまた頭をそこに割きたいって思う。
久しぶりにしろくまのみんなと演奏会。コロナ禍で広島との往来も難しい中,本番はおろかアンサンブルもほとんどできなかった今年度。本当に本当にありがたくて贅沢な時間だった。 しかししろくまは本番を重ねるたびにファンをつくる。本番が終わるとお客さんや本番の関係者から,社交辞令ではなく「うちにも来てほしい」という声がかかるのである。県内外問わず,人数のスケジュールが合う限りそれに応えてきた結果,いろんなご縁が生まれてきた。今回メンバーでありながら,しろくまを「招く」立場に立ってみて,
2021年歌いはじめは,来週のニューイヤーコンサート2021に向けての合わせ稽古。 レッスン前にお正月の和菓子などいただいてしまったりして。今年も待ったなしです。 ニューイヤーコンサートでは,それぞれソロのあとはがっつり昭和歌曲の重唱をいたします。『五番街のマリーへ』『なごり雪 』『恋のバカンス』『オリビアを聴きながら『麦の歌』いい感じに昭和くさいです。 ちなみに我々のグループ名はSKN45.6。歌い手の名前の頭文字をとってSKN。アイドルになりそびれた感じです。次の数
初詣に行ったら,新聞社から声をかけられ,何を願ったか尋ねられた。個人的な話,神社仏閣では何かを願うというよりは,現状に対する感謝に手を合わせている。その旨伝えると,昨年のコロナ関連で不便だったことは?という話に。。。出来上がった記事にはコロナ収束を願ったことになっている。 確かにインタビューにはインタビュアーとインタビュイーの相互作用によって生成される側面はある。でもなんだか腑に落ちない感覚。あらかじめ記事を書くときのストーリーがあるんだろうけどね。そこに寄せられた感じ(=
あけましておめでとうございます。 コロナで何かと気忙しい一年でしたが,こうして新たな年を迎えられたことに感謝です。 昨晩は除夜の鐘をつきにお寺へ。 鐘の音はかなりずっしりしていて,その響の中で「音がいかに振動か」を体感しておりました。 例年だと人がかなり並ぶので難しいとのことですが,今年はスペースがある分,キャンドルの文字がありました。 小さなことかもしれないけど,いろんなところでマイナスなことだけではなく「コロナならでは」の知恵を出し合っている感じがします。 雪が降る
今日は東京芸術劇場にて,井上道義×野田秀樹の,歌劇『フィガロの結婚』~庭師は見た!~ 千秋楽だったそうで。2週間前になるが,この舞台の北九州公演に合唱エキストラで出演させていただいたことを紡いでいなかったと,慌てて筆をはしらせているわけである。 学生時代「オペラ実習」で研鑽を積んでいたころ,野田秀樹氏によるえらく斬新な演出のフィガロがあると噂をきき,観劇したいと思ったものの中国地方への公演もなく遠方は日程が合わず…まさか5年越しの再演に際して,舞台側にいさせていただけること
ついに免許をゲット。働きだす前にとっておいた方がいいよと言われてはいたものの,必要性のなさ+日々の忙しさのために後回しにしていたら,一番忙しいときに自動車学校に通う羽目になった。 4月から仕事終わりにコンスタントに通い,無事卒業。 先週から車通勤はじめました。前後に初心者マーク3つくらい付けたい気分。 …そして今。なぜか自動車学校ロスに陥っている(笑) そうそう,教習中に書きかけていたことをまとめよう。自動車学校の先生ってすごいよなぁ。という話。 アクセルとブレーキがど
まだコロナの正体が分からず,マスクが品薄になっていたころ,職場の先生が「そのうちマスクが通貨になるんじゃないの(笑)?」と言っていた。 確かになぁ!と思った。 全世界の人々がこれほどまでに一つのものを求めている状況ってあまりないかもしれない。 マスクといえば。 これまた職場の先生が,ひだつきの手作りマスクをそれはそれは器用に作られていた。それも(歳や性別によって勝手なイメージを抱くのはよくない!というの話は一旦おいておいて)60代の男性である。小学校の先生だったので,家庭科
今月から対面授業が始まった。 努めて「楽しみながら」オンライン授業のいろいろな可能性を探ってきたものの,音を扱う以上,やはり対面授業には他に代替し難い音体験があることを体感している。 では。音とは一体何なのかということを考えはじめた。 物理的には音も単なる振動に過ぎないのに,遠隔では得難い体験があるというのはどういうことなのか。 きっと人は「音を聴く」ときに,音だけではなくその周りにあるいろいろな事物を一緒に感受しているんだろうな。 きっかけは単なる振動なのに,それが感動
オンライン授業を発信するだけではなく,受講する機会もぽつぽつ増えてきた。統計学やテキストマイニングの講座をオンラインで無料体験をしているというので申し込んだところである。 しかし同じZoomを使うとしても講師の先生によってスタイルが全くもって異なる。「教室」と一緒だなぁ。 まぁ。当たり前といわれるとそうなんだけど,実感を伴った体験であったので備忘録に。
5月はコロナウイルス感染拡大防止につきほぼ在宅勤務だった。#STAY HOMEというやつ。 これまでは毎月(下手したら毎週)県外に行っていたのに対し,突然に動けなくなった訳だが,様々なオンラインサービスのおかげで,家にいながらそこそこ”飛び回る”生活ができている。 例えばある日の午前中は大学院の集中講義,午後は研修会,夜は飲み会。いずれもコロナがなければ,それぞれに大阪,東京,広島で開催されるものである。(もちろんオンライン開催でなければ別日に設定されるもの。) 直接会
大学院の集中講義で,博論のリサーチクエスチョンを問い直すという,それはそれは大いなる宿題が出た。 前に読んだ本を急に読みたくなって,久々にページをめくる。 問いとは,「あなたをつかんで離さないもののこと。」 最近だと職場の先生方の共同研究にも参加させていただいていて,これまで独学で試みてはいまいち掴みきれずに挫折してきたいろいろな研究手法を教えていただき,本当に勉強になることばかり。 つい,そんな研究手法があったのか!と嬉しくなり,手法ありきで考えてしまいそうになる自
夢って叶うものだなぁ。と最近つくづく感じる。 大学教員・研究者 という,言葉だけ聞くと,大学院を出たての私にとっては身の丈を超えたような夢。でも今思い返すとこれは,後からついてきた夢だった。 3月末に知り合いにドライブに連れて行ってもらったとき,夢の話になった。夢は必ずしも「〇〇になりたい。」という具体的なものとも限らない。夢を掲げてまっしぐらに走らなくても,後からついてくるものではないか。 自分に置き換えると,「教えることが好き」「音楽が好き」「新しい物事を知ることが